わたしのあゆみ 2~介護保険業界の闇 その①~

若気の至りで転職したのは、通所介護事業所、いわゆるデイサービス。
友人の所属していた事業所で、新たにデイサービスを始めると聞き、当時働いていた場所の天下り上司に疲れきっていた私は、さっさと見切りをつけて未来を切り拓いた(つもりだった)、大卒社会人4年目の春だった。

が…
介護保険制度になってから、デイサービスは爆発的に増えていた。それは、今まではなかった、いわゆる株式会社からの参入。福祉の民営化のようなもので、全く福祉のことを知らない事業所が、「サービス」という視点で介護保険事業を運営する。元の業態は様々だが、私の転職先のオーナーは、アミューズメント関連の社長だった。その社長に気に入られた友人は、新規開設のデイサービス事業所の管理者に抜擢されたそうだ。
友人と言っても、1学年下の彼に、デイサービスでの勤務経験はない。とりあえずつてを使って必要メンバーを集め、色々なところからの見よう見まねで推し進め、何とか運営しているような状況だった。
そのメンバーの中では、私の施設経験は邪魔になった。
まずは食事をどうするか?彼は高齢者向けの
弁当をとる、と手配をしたが、それだと赤字になってしまう。厨房は本当に簡易的なもので、大人数用の設備には見えなかった。
最初のうちは弁当でも良かったが、やはり温かい食事をしてほしい。そう思って、ベテラン看護師さんが毎日厨房に立ち、色んなものを作って下さった。私はおやつの手配。前職場のつてで、仕入先を見つけてやりとりした。せっかく入ったからには、よいものを作り上げていきたい。私は肩に力が入っていたのか、積極的に意見を言い、業務を見直していった。ただそのやり方が、今となってはあまり上手ではなかったなと反省している。良く言えば積極的だが、うまく伝わらなければかえってチームワークの輪を乱すことになるからだ。
こんな状況で何とか運営していたが、開所から2ヶ月が経った頃、管理者をしていた友人と職場内の女性が親密にしているところが明るみに出て、社長の計らいで人事異動となった。ベテラン看護師さんが管理者となり、私は社長から暗に退職を勧告された。
それは20年経った今でも鮮明に記憶に残っている。密室で、大柄の社長と事務長に執拗に責め立てられ、私は今までに味わったことのない恐怖を感じた。翌日も何とか出勤したが、社長の姿を見ると、その時のことがフラッシュバックしてしまい、私は初めて利用者さんの前で泣けた。一生懸命こらえ、必死の思いで誰もいない浴室に閉じ籠り、しばらく慟哭した。自分が一生懸命守ろうとしていたものを打ち砕かれたような気がして、とても悲しかった。私の姿を見た社長は、「利用者さんの前で泣くなんて許されない。もう明日から来なくてよい」と私に宣告した。
私は翌日からひたすら家にいた。まるで空気が抜けてしまったようだった。心配した仕事仲間の連絡も、しばらく断っていたような気がする。私を誘った友人からは、結局連絡は来なかった。
数日して、会社から保険関係の書類が送られてきた。失業給付関連の書類だったと思うが、勤務日数が記載された余白に、事務長の字で極端に大きく、「自己都合退職!」と書かれていたのが、忘れられない。

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