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考えることを考えてみた


に参加しました。

「具体と抽象」というタイトルでは、
出版社で企画書さえ通らない。
1/1000の一人に読んでもらえたらok。
ただ、その人には満足度の高いものにする。

と冒頭、出版にあたっての目論見について、
細谷さんが仰っていて驚きました。
「具体」が苦手、「抽象」が好き
な私にとっては楽しみなテーマでした。

本で読むのと違って、リアルな存在が
目の前にいて表情、身振り手振りをもって
語られるお話は迫力があります。

キーワードと、私なりの抽象化を記します。

「考える」とはどういうことか?
それは、具体と抽象をいったりきたり
すること。

「考える」ことを「考える」
なんてことは今まで考えたことなかったです。

考える。という
「自分含め誰の目にも明らかに見えない」
ものを
「誰しもの目に見えそうなもの」に明らめた。

ということ自体がすごい。
そして、細谷さんのそんな発想がくすぐる。

考えることを考え続けた結果である。

ということが、くすぐる。

考えるという行為を
ビデオにとってもわからない。
Youtubeで考える姿をうつして、
ずっと流しててても何かわからない。

たしかに!

「考える人」の銅像ー。
片膝ついて肘を当て、手首を捻らせ顎に当てる

その絵は、目に浮かぶけど、

「で?」

となる。

ただ、そう書いてみて気づくことは、
膝、肘、手首、顎が、
「当たってる」のと
その当たり場所を、
「線を結ぶと縦に一直線」
なことである。

人は、考える時、
両手両足を広げては、考えない。

考えていないのは、横運動 具体から具体
考えているのは縦運動。具体から抽象。

という思考のお話と、
先の身体的な話と、通ずるのかはわからない。

ただ、
考えることは、運動である。

散歩しているとき。
風呂に入ってるとき。
鉛筆を動かしているとき。

静より動のほうが、
頭が動く🟰考えが動く。

また、考えてるの時の目線は、
「右斜め上か、左斜め上」である。

右横、左横を見ながら考えないのは、
なんだか不思議である。

やはり、「上下」にコツがあるんだろうか。

ちなみに、目を瞑って考える時は、
「瞑想」になる。

頭を動かすと言うより、
心を動かしている。
思考するより、心を整える感じだ。


動物からすれば、人間はすでにメタバース。
動物は目に見える具体の世界を見るが、
目に見えない世界を見れるのが人間である。

動物は、文字通り動く物だから、
動きながら考えてそうだけど、
それは直観に従う。
直に観えるものを追う。

「考える」ことができる人間のことを、
動物たちは「うらやましい」と思うこと、
もないんだろう。

そう思うと、
「直感」で感じたことを
考えるという思考に変換できる。
かつ
抽象化をもって、
人に伝えることができるという、
人間特有で万人に与えられた
「遊び」をもっと遊びたい。

抽象化という遊び。
具体化に戻す遊び。

言葉は欠陥商品
そもそも、
言葉によって表現していることが
おかしいと思うこと。
言葉を知っているか知ってないかではない。
言葉で説明できるのは、何万分の一、
というところからスタートする

言い切られた。
言葉は万能で、人間に与えられたー。
と思ってたけど、
その前提を捨てることからスタートしたい。

言葉にする前に、考える。
言葉は具体だ。
言葉にしちゃうと、具体になだれ込む。
それが、快になる。自己満足する。

だから、
言葉にする前に、考える。
抽象化したものをさらに抽象化する。

選択肢が増える 仕事に活かせる
あしたでも生かせる

抽象化すると、
選ぶ言葉の選択肢も増える。

ラーメン、麺類、それは人類に通じる。
もっと遊べる。

すべてのものが何かに似ている
というところからスタートする


noteは抽象化に似ている。
書くことは、抽象化に似ている。
生きることは、抽象化に似ている。

強引かな、強引でいい。

なぜなら、具体化という引力は、
全人類から求められるため、
あえて引き離し、抽象化を楽しむのがよい。

きょうもお付き合いいただき
ありがとうございます。

たまたま写真に撮った、月が土星に似ていた。
「遠くて近いもの」に引き寄せることで、
違って見えてきます。

と、思ってたら、偶然が本当で、
びっくり。これだから人生と月は面白い。


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