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「今、ココ、自分」をnoteで満たす


きょうは動物園に行きました。
大人500円。なんといっても安い
みると地方独立法人なんですね、
初めて知りました。
自分が子供の頃よく行き、ザ・昭和な
雰囲気もノスタルジックで好きで、
30年くらい変わってなかったのですが、
一部ずつリニューアルが進んでいます。

さみしいようなうれしいような。

この入園料500円については、
つい運営費や、
餌代なんだろうなあと思っていたのですが。

『お金の向こうに人がいる』田内学さん
を読んでからは、

飼育員さん。
チケットを売る人。
餌を運ぶ人。
動物たちを連れてくる人。
繁殖を考える人。
お客さんを楽しませる企画をする人。

動物たちの向こうに、人がいるんですよね。
いくつになっても楽しませてくれる
動物園、動物たちに感謝が生まれてきます。

一方で、いつも感じることとしては、

「こんな狭いところで可哀想」となります。
狭い檻の中でいったりきたりを見ていると。

ただ、もし野生のサバンナでの暮らしなら、
餌も得られず
毎日があるかもわからない暮らし。
あつさ。さむさ。飢え。
どっちがいいんだろう、と。

今、ココにいれば、
明日は約束されている。
決まった時間に餌が与えられる。
雨の日も風の日も、壁や屋根のある暮らし。

もし動物たちに感情や
自意識がないとすれば、
動物園での暮らしもまた一つの生き方
(選択はできないけれど)

サバンナの方が自由でよいかもしれないけど
常に今、ココが、満たされている方が。

「囲われた」
暮らしの方がもしかすると、自由。

その動物たちをみる、
人、は人生を選択ができるんですね。
(100%でないけれど)

でも、でもどこか、自由ではない。
不自由さをいつもかかえているようにも
思えてきます。

サバンナの野生動物のように
生きるか死ぬかの今ではなく、
明日の食べ物に困ることも少ない。

檻の中で飼われているわけでもない。

だけど、自由ではない。

それは人が、
「感情」や、「自意識」があるから

なのかもしれないと、
行きの阪急電車で読んでいた本から感じました

自然の中で生きる動物たちを見て
「自由だな」
「いきいきとしてるな」と感じるのは、
彼らが自意識に縛られていないように
見えるからです。

僕らは自意識を持つがゆえに
「人間」であるけれど、
一方で「自意識」を持つことに耐え切れないぐらいの「息苦しさ」
を覚えている。
自意識というのは人間にとってそういうアンビバレントな存在なのです
(両義的)

「今、ここ」
の欲求が過去や未来に癒着してしまうからです。

動物は
「今、ここ」の欲求が満たされればそれで
満足してしまうのに対して、人間はどれだけ欲求を満たしても、決して満足することができません。

『どうせ死ぬのになぜ生きるのか』名越康文さん


どこまでいっても満たせない。
途方に暮れる。

人だからこそ、の欲求。
人だからこそ、過去今未来を考えられる。

だけど、だからこそ、
今、ココに、満足を持ちにくいんだなあと。

動物園の動物たちがもし
自意識や感情をもっていたら、
逆に「人」を檻の中に見ている??

動物園の動物たちは、
今、ココ、を満たすのがもしかして、
人より上手??

純粋に楽しめばいいのに、
なんてことを思いながら、過ごすのもまた
人間の自意識なのかもしれません。

noteは、
今、ココ、を満たす場所になっています。

見るだけでももちろんですが、
投稿することで、得られるものがある。
満たされる。

動物たちは、動物園で、
ねる、たべる、うごく、
そして、人を楽しませて、人を喜ばせる
そして生きている。
だから、
満たしているのかもしれない。

noteも、人を楽しませ、喜ばせ、
時に誰かの役に立つものに。
そうしていくここで、
今、ココを満たしていける気がします。

そこにある、自由。

でもでも、同時に、サバンナのような、
自由さを求めてしまうのは、
刺激を求めてしまうのはやはり、
人だからこその性なのでしょうか。

今、ココを満たすとともに、
だれかの、ドコカを満たせられたら。

そして、人間だからこその、
過去も未来も、満たせていけたら。
もっと自由なのかもしれないなあ。

と、
「空飛ぶペンギン」を見て思いました。
(写真)

いぜんのここの動物園のペンギンたちは
すこしせまい、泳ぐ場所もすくない環境
でしたが、
とても、イキイキ泳いでいました。

まるで、ちょっと大きくなった自由を
得たかのように、
空を泳いでいます。

おすすめです。

環境が変えてくれること。
そこにきっとお金も予算も必要だっただろう
けれど、
そこにきっと、飼育員さんたち、
人の思いと人の手があったこと。

子どもたちが笑顔で歓声をあげて見上げる
ペンギンを見て、
飼育員さんたちの満たされた思いに
馳せながら、

今、ココ、満たし上手になりたいなあと
24年度 春のスタートにおもうのでした。

今日もお読みいただき
ありがとうございました。

いろんなことがあってはじまった24年。
24「年度」は、人が考えた区切り、
日本の節目。日本中、世界中のそこここで、
みんなが満たされる24年度でありますように。

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