見出し画像

『進撃の巨人』ついにアニメ完結〜鑑賞・感想〜

きっかけ

もう随分前で多分まだアニメ化される前に、友人が面白いからと単行本を当時の最新刊まで貸してくれたのが『進撃の巨人』の物語に触れた最初だった。
借りる少し前からTVやネットで「この漫画が面白い」と話題なのは知っていた。
でも、絵が“自分好み”ではなかったので然程興味が湧かなかった。
そう、自分は“絵”の好みで読む漫画や観るアニメを決める。
『進撃の巨人』のアニメに出逢うまでは、そうだった。

そして、借りた漫画を時間のできた時に読み始めた。
自分は読むのが酷く遅い。本当にヒドイ程遅い。自分で自覚がある程遅い。
その時いたパートナーが1日で借りた全巻を読み終えたのに対し、自分は1日で2冊読み終えれば良い方。
何と言っても、キャラ1人1人になりきり効果音等も目で見て飛ばす事はせず、じっくりガッツリ頭の中で音にするので時間が掛かる。
なので特殊な効果音とセリフが多い『ジョジョの奇妙な冒険』は早くから漫画を断念した記憶がある。(飼っていた猫の名は、ジョータロー。犬の名は、ジョースケ)

一応、借りた全てを読み終えた、、、はず。
内容的に面白いと思うよりも前に、絵がとにかく気になった。初めから言われていた事だし、作者の諫山先生自身もそれは自覚していたと思うが、、、自分が今まで読んできた漫画の中でトップクラスで“絵”が気になってしまい、途中から誰が誰だか分からなくなり何度もページを戻るという作業を繰り返した記憶がある。
そして、せっかく貸してくれた友人にも「途中から誰が誰が分からんくなったわw」とか言って返却した事を、今では反省している。

当時の自分は分からなくなったのではなく、自分がはなから“絵”を受付ける事が出来ずそれを理由に物語への興味をなくし理解できなかった、理解しようとしなかっただけ。
今は、そう思う。
ただ、内容的にストーリーを面白くないとは一切思わなかったのは確か。

アニメの衝撃

それからしばらくして、2013年4月〜アニメがスタートした。
もう衝撃的だった。
あの漫画がどの様にアニメで描かれ動き声を発するのか?どんなアニメになるのか?OPやEDの曲や映像はどんな感じか???
沢山の疑問?や興味があり、何よりも自分には漫画よりもアニメで観賞した方が向いているのでは?と思っていたので楽しみだった。
そして観賞スタート。

ただただ衝撃が走った。
「何だ?このOPは…原作のキャラをここまで鮮明に表現し美しく迫力のある映像と立体機動装置の詳細動作と兵団達の動き…そして、初めて聞くタイプの音楽」
全てが新鮮で今までにない衝撃を受けたアニメだった。(AKIRA以来)
なんと言っても、あの漫画の“絵”のキャラ達がもの凄く生き生きと描かれている事に驚きを受けた。(ごめんなさい、諫山先生。)
でも決して原作と全く違う“絵柄”になっているとか、世界観やキャラが違い過ぎるとかではなく、その逆で、思いっきり原作に忠実で且つ原作をより素晴らしく表現した出来になっていた。

たまにアニメにした途端、全く違う世界観やキャラ変があったりして見る気が失せる時があるけど、全くもってそうではなかった。
だからこそ、これほど世界中で愛され視聴されるに至ったのだとつくづく感じる。
『進撃の巨人』で初めて、アニメ化をするにあたっての原作へのリスペクトや表現方法、そして音楽の凄さというか何たるかを思い知らされた感じだった。
アニメで新たにバンドや歌手を知れるのはとても嬉しい。そして、このアニメで知った作曲家の澤野弘之さん。
何ちゅー人だ、、、恐ろしい。この澤野さんの音楽なしではアニメ『進撃の巨人』は完成できない位置付けだと感じている程、素晴らしい音楽。

ただ、原作漫画を読み見ていて最初から感じていた事がある。
諫山先生は迫力のある戦闘シーンや動きを描くのが上手い。見応えがあると。

完結後

11月4日(土)24時または11月5日(日)0時、放送開始。
観ました、鑑賞しました。それまでに、きっちり完結編(前編)まで観終えて。
もう芸術作品を鑑賞する勢いで、鑑賞。

良かった。
スタートは前編からのラストの“TATAKAI”の始まりのシーンからスタートで、そのままの勢いで怒涛の戦闘シーンへ。
自分が1番諫山先生の表現で素晴らしいと思うたのが、エレンの始祖の巨人姿。
もう、圧巻でしょ。
いや、前編から登場はしてるけど後編でも改めて思った。こんなエレンの姿を誰が想像できたであろうか、、、と。
自分が思うに、漫画やアニメでのラスボスというか特に精神世界を重きとしている場合、最終的に倒すべき相手がデカくなる事は多々ある様に感じている。
なので、元々『進撃の巨人』というようなタイトルもあり大きくなる事は想像できても、こんな恐ろしいとも異様とも不思議とも思える出立ちとなったエレンを考え出した諫山先生が恐ろしいし興味深い。

『進撃の巨人』は1話〜一貫して変わらないのが、人が殺されるシーンの悲惨さと残酷さ。本当に見ていて感触や感覚が伝わってくる程の表現をしているのがすごい。
音楽もアレンジというのか編曲というのか、これまでと違うバージョンが流れより一層雰囲気を爆上げ。
激しい戦闘シーンと主要人物達の会話のシーンが交互に流れ、1話の時からこれも変わらず全く目が離せない展開ばかり。
『進撃の巨人』の大好きな所は、ダラダラした意味のない飽きる様なシーンが全くないこと!伏線ばかり気にしていては楽しむものも楽しめないけど、だからこそ何かあるんじゃないか!?と目が離せないストーリー展開がたまらない。

さっきちょこっと全話無料中だったので、久々1〜2話を見返してみた。
何とも驚く。アニやベルトルトにライナーがエレンと出会う前にきちんと描かれているではないか。そしておそらく、大人エレン・イェーガーまで…
これは、完結編観終わってから再度1話〜見直すとまた違った意味で楽しめる!
そう感じましたよ。
もしかしたら諫山先生は、色んな伏線を張り巡らせ再度楽しめる様初めから考えて描かれていたのかもしれん…とか思ってしまう程の奇才。

好きなシーン(ネタバレ)

沢山激アツのシーンはあれど、自分の中で好きなシーンというか人物であるジークが、アルミンのお陰で我を取り戻しいつもの調子で「お〜〜〜い!」と呼びかけるシーン。
マッパで正にMAPPAの後ろ姿が美しく、そして少し期待を持ちながらも潔くリヴァイに首チョンパされるシーン。
あの掛け声の後のほんの僅かな時間で何だかジークとリヴァイが理解し合った気がして、美しかった。
ジークの「虫が良すぎるよな…」と、リヴァイもそれを分かった上で仇を取った、という解釈。
仇を取りエルヴィンとの約束を守ったものの戻っては来ない戦友たちを想い。。。リヴァイ。。。

ジークが「自分はできなかったが、エレンはユミルを理解できた」と言っていたけど、自分が思うにエレンは理解したのではなくミカサの為に理解せざるを得んかったのでは?と。
ミカサがユミルを解放しこの混沌から皆が抜けエレンが子供の頃から心に決めていた“巨人の駆逐”(巨人の無力化、巨人になるエルディア人を無くす事)を実現するために。
そして、ミカサを救うために。

切ないシーン1(ネタバレ)

何と言っても、ミカサがエレンを仕留める!と決意し最後にエレンと目が合ったシーン。
驚いた、、、
言葉を失うとはこの事かと思い知らされる程、切なかった。
驚いたのは、ミカサとエレンの表情。 特に、目。
こんな切ない目、見た事ない。
2人の言い表せない沢山の想いと感情が、この目だけで十分に伝わった恐ろしさ。
やっぱり、諫山先生普通じゃねー。
お互いに「ごめん」とか「ありがとう」とか「愛してる」とか…そんな単純で簡単な言葉では表せない感情を全て目に込めた感じ。
なるほど、昔の人はよく言ったもんだ「目は口ほどに物を言う」正にその通り。

そして、ミカサの「いってらっしゃい」
エレンはミカサの前では最後の最期まで、カッコつけて逝きやがった訳ですよ。
最後の最期までミカサに甘えて、ミカサに処理してもらって、何て野郎だ。

そして更に、切なくも美しいキスシーン。
キスシーンは絶対にある!と何故か確信していた。(原作は女型巨人まで)
でも、まさか、エレンの首との切ないキスシーンだとは想像もしてなかった。
だから、諫山先生好きだわ。絶対、想像以上の斜め上下からくるから。

切ないシーン2(ネタバレ)

戦いが終了し、ミカサに抱き抱えられたエレンの首を見て号泣するアルミン。
もうね、声優陣皆がすごいんですよ。
そして、エレンの首と共に「あの丘の木に向かって」立ち去るミカサ。
切ねぇ以外の何もんでもない。

大好きなシーン(ネタバレ)

エレンがアルミンにミカサの事で殴られ、とうとう本音を吐露するシーン。
もう最高だった。
これを聞きたかったし、知りたかった。
相手がアルミンだからこそ聞き出せた本音でもあるだろうし、相手がアルミンだからこそカッコ悪くても全部を最期に吐き出したんだろうと思うと、これはこれで切ない。
最初から最期まで一直線でカッコいい主人公なんか求めてなかったし、ずっと想像を超えた展開と驚きを与えてくれ、飽きる事のない物語を創り上げてきた諫山先生だからこその、この展開とエレンの本音発表。

本当に最高だった。自分にはこのシーンがあったからこそ最高の完結編だったと思えたのかもしらん。
エレンはずっとずっと自分の気持ちを押し殺して、ミカサにあんな酷い言葉まで浴びせて、、、どんなに苦しかったことか。
自分を嫌ってくれさえすれば、自分がこの世から去ったとしてもミカサは悲しまずに済むと考えてのエレンの言動。
最期くらいいいじゃん、泣きべそエレン最高ジャン!と思った。
覚悟はしていたしミカサの幸せは願っているけども「あぁ、やっぱ、、、」って所も切な過ぎる。
そりゃ、ミサカと幸せになれるもんならなりたいよな?エレン。
でも、エレンも話していた様に何度足掻いてみてもダメだったと…結局、こうなる運命は変えられなかったと。

ただ、ユミルがフリッツ王を愛していたというエレンの発言には驚いた。
奴隷として虐げられていたにも関わらず、愛していたとは。

アルミンはミカサに伝えてはいないと思うけど、伝えなくてもミカサがエレンを忘れる事なんてできるはずなかった。
という、エンディング。たとえ、家族を持ったとしても。。。
そして、鳥。
OPだろうがEDだろうが、いつも登場する鳥。

エンドロール

そして、人が人であり欲を持ち続ける限りなくなる事のない争い。
そう、これだけは絶対に変わらないし変える事はできないと思った。
国同士、民族同士、人種や宗教等、、、大きな枠の中でなくとも、学校や職場・家族間でさえも争いが発生する。
そんな小さな枠内でも口論やケンカが起こり終息させるにも苦労するのに、枠が大きくなればなる程理解や終息へ向けるのは困難であると感じる。

皆、思いやりや優しさがない訳ではなく皆持ち合わせていると思っている。
ただ、それよりも“欲”が増すことが多いのかもしれないと思う様になった。
家族間やパートナー・職場や学校・友人や知人、そんな相手に勝手に“期待”をする事で、その“期待”という“欲”を裏切られると腹が立ったりイライラしたりガッカリする。
とても勝手な事なんだけど、きっと皆無意識にそれをし感じているのではなかろうかと。

そして時は流れ、もしかしたら2000年後?きっと誰かの子孫であろう子供と犬っころが。
巨人が復活するのか?はたまた全く別の力が宿るのか?
何にしても、もし何かしらの力が発生する「始祖」である物体が存在し得るのであれば、その源はきっとエレンだろう、きっと。

「おかえりなさい エレン」

何つって。すんません。

ただ、完結編(後編)観終わって畑作業でシシトウ苗を片付けている時、日に当たる掘り出した“根っこ”を見て思ったんですよね。
(あー、これが「始祖」の正体なんかもしれんな…)って。
何となく、そう思ったんです。なんとなく。

いや、掘り出してすぐは本当にそう見えたんですけど…


終わらない『進撃の巨人』

ハッキリ言って、まだ沢山疑問がある様に思います。
1番は、ヒストリアの子。エレンに「子供を作るのはどう?」と問いかけていたシーンがあったけど、それはもしかしてエレンとの子と言うことかい?
それとも、思わせ振りなシーンというだけで全然関係ないのかい?
誰の子かと言ったハッキリ分かる様なシーンはなかったと思うけど…

もう一度1話〜(今日2話まで視聴したから、厳密には3話〜)アニメを見直すことで新たな発見や疑問の解決ができるかもしらん。
なので、また見返してみようと思う。
そして、もちろん今度はきちんと原作も。
諫山先生の画力の上がり方も堪能したい。
原画展に行ったことあるけど、本編には全く関係ない「進撃の巨人」(エレン巨人)の躍動的な絵は本当に素晴らしかった。
あの切ないミカサとエレンの最期の見つめ合うシーンを原作でじっくり見たい。

漫画家さんの連載時の“絵”の移り変わりというか進歩というか、見るのは楽しい。
ラムちゃんも1話と最終巻ではかなり顔付きとかスタイルも変わってるからね。

色んな考察はあるけど、自分は自分なりの解釈をして全てを消化したら他の人の考察とか見てみようかな。


では…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?