アコトバの考察。

原口沙輔のアコトバという曲が、坂本龍一の
Ballet Mecaniqueに似てると思い、
Youtubeのコメ欄と自分のものも交えながら
以下考察のような妄想。
原口さんは坂本龍一を尊敬し、
一番影響を与えられた音楽家と言っており、
もしかしたらBallet Mecaniqueを
リスペクトしたような楽曲かと考察します。
まずBallet Mecaniqueは坂本龍一のアルバム
未来派野郎に収録されており、
アルバム名が、未来派と呼ばれる芸術運動か取っています。未来派とは(wiki参照)
「過去の芸術の徹底破壊と、機械化によって
実現された近代社会の速さを称えるもの」
と書かれています。ここで、プロセカ収録の際での
「3032年、音楽という概念は消えかかっていた。
音の需要は娯楽から機能へと移り、もう誰も音楽を必要としなくなっていたのである。この空虚の街に唯一残ったのは、爆撃に耐えたH2K(初音、原口、重音)だけであった…この三人だけがまだ音の
可能性を諦め切っていなかったのである!
歌というものが当時どのようなものであったかは
曖昧であったが、建物に残ったデータ、アカウント情報、非公開マイリス、ありったけの資料を
かき集めて、歌のような"なにか"を
どうにか完成させたのだ!
いつの間にか目的のある機能にだけ価値を
見出し始めた人間たちにこれが響くかどうか、
わかる筈も無いが、
とにかく届けるしかないのである!」
というコメントから、
「音楽、歌が淘汰された未来の世界」という設定がわかり、アンチ未来派的な意味が楽曲に込められていることがわかります。
次にタイトルの考察です。
コメントには「アイコトバ」から「イを抜いた」
「射抜いた」から事後ヒバナであるなどがありますが、私の考察は「亜言葉」という意味も含んでいると考えます。「亜は上位や主たるものに次ぐ。
次位の。準ずるという「次」や「二番目」などを
示す漢字」という意味があるため、アコトバは
「言葉のようなもの」という意味になると
考えます。
次にアコトバがイラストや楽曲が
「まるでAIが作ったみたい」と言うコメントが
目につき、アコトバがAI的な存在が作ったと
仮定して考察します。
「AIコトバ」から「I」を抜いたAコトバと見ます。AIはartificial intelligence
(人工的な知能)ですからIを抜くと
「人工的な言葉」となります。
これをもう一度英語に戻すと
「Artificial language」となり、人工言語という
意味になります。人工言語は
「特定の目的のために作り上げた言語」
という意味です。ここでの目的は原口さんの言う「音の需要は娯楽から機能へ」と
「目的のある機能にだけ価値を見出し始めた人間」のような「娯楽が除かれた音の機能の価値」
ではなく「娯楽的な音、つまり音楽の価値」
が目的であり、そして3032年の彼らが言葉
「歌のようなにか」が人間たちに
伝えるための「言葉」
なのだとしたら、タイトルの意味は
「人間に音楽を思い出させるための言葉(歌)」と考察できます。次に楽曲の歌詞についての考察です。
サビの歌詞である「言葉で世界が変わる時は訪れないけど」はバベルの塔の話を想起させました。
「天にも登る塔の建設が神の逆鱗にに触れ、
人間たちは言葉を乱されてしまった」
と言う話ですが、これが意味することは、
コミュニケーションの断絶により、
人間は争いが起きることを指しています。
ここからはほぼ妄想ですが、未来の世界でバベルの塔の話のようなものが起きたと考えます。
人間は、天に届く塔を立てるほどの技術を
持っていたが、意思疎通を図ろうとせずに戦争が
起き、かつて言葉がされたように音楽も乱され、
人間は音楽(言葉)を必要としなくなったのでは
ないかと思います。未来派の思想にイタリアファシズムが戦争を「世の中を衛生的にする唯一の方法」として賛美するものがあり、(wiki参照)
人の思う美を極めた結果、何もない、
数々の文化芸術が廃れていってしまった世界とも
取れます。
次にできるだけ歌詞の意味を考えてみました。
「力?と立場?を使うよりかは届かないけど」
は力や立場といった、まさに争いの火種のようなものを
使わずに人間に届けると言う意味説
「形のないものでしかどうにもならないものでしょう」
の形のないものとは音楽を指している説
「水の絵は 本物より動く」は
「ありったけの資料をかき集めて、歌のような"なにか"を
どうにか完成させたのだ!」とあるような過去の歌を絵とし、水のような存在がH2K(初音、原口、重音テト)とするならば、模倣によってできた歌のような
"なにか"は本物(過去の歌)を超えるという意味説。
「言葉で世界が変わる時は訪れないけど」 「いつしか忘れてここを思い出す為」 「繰り返し観る為 刻む」 「どこかで揺らめく音の響きになれたらいいな」
「いつしか忘れて思い出したなら」 「歌に似た "なにか" と見くびらないで!」 など等、人間がまた音楽を忘れ去っても音楽がなくならないよう、人間が思い出すようにアコトバを作った説。 かなり無理矢理感がある解釈の仕方ですが、
この世界観はBallet Mecaniqueや初音ミクの消失などを彷彿させます。
というかほぼ初音ミクの消失っぽいです。原口さんなりのリスペクトでしょうか。 まとめ。 アコトバは戦争を繰り返し、芸術、音楽がなくなってしまった世界で 「人間に歌(言葉)を思い出してもらうための歌(言葉)のようななにか」 という解釈ができ、間接的に未来に平和を謳ったものだと考察します。
もっと綺麗な考察があると思いますが、もしあったら教えて欲しいです。


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