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鬱とどう向き合うか~試行錯誤~

私は、現在進行形で鬱治療中の人間モドキ。

家に関わるお金と仕事のストレスが原因なことは分かっている。

親からは金の無心、仕事は残業100時間を越え苦手な大人数での作業。

1度転んだら、そのまま転がり続けて上手く行かなくなった。

信用している上司とも離れて孤独感が強かった。

入社したての頃の方が辛かったはずなのに、何故か耐えられなくなっていた。

年を重ねて経験を重ねて知識を重ねていったのに、入社したての頃の自分の方が逞しいことが悲しくて悔しくて仕方ない。

上司に冷たくされようが、強面の初対面の職人さんに無愛想に対応されようが、まだ人見知りして打ち解けきれない同僚と一緒にいようが何故か平気だった。

いや、確かに辛いとは思っていたけど「やったるぞ!」て思いながら毎日朝起きて「今日の仕事も楽しみだ!」て出勤出来ていたのに。

自分の退化が許せなかった。

多忙でも皆働いていた。何で私だけ耐えられないんだ、と悔しかった。でも「頑張るぞ!」とはなれなかった。
「まだ頑張るの?」という絶望の朝ばかりだった。
それも嫌だった。そんな風に思うのが嫌だった。

私は何かと流されやすい。
誰かが落ち込むと私も落ち込む。誰かが焦ると私も焦る。疲れていると、さらに流されやすくなる。それでさらに疲れる。

私は頭も良くない。勉強は出来た。でも地頭が悪い。トランプゲームの大富豪とかは最悪だ。誰かが口で説明してくれても、私は処理に時間がかかるから理解できない。
コソッとネットで調べてようやく理解できる。

文字が私の味方だった。字を書くのは下手だが。

鬱になってからは文字も敵になった。目が滑りに滑る。脳がラップでぐるぐる巻きになっているような窮屈感と不快感があった。脳の風通しが異常に悪くなった。

口でも分からない。書類でも分からない。何度も確認しては混乱した。

周りから「死にそうな顔をしている」と言われた。
私とあまり関わりの無い人まで私が死にそうな顔をしていることを知っていた時は驚いた。

思うに、これが私の限界だったんだと。
今の私はここまでなんだと、割り切らないといけない。
上手く生きることが出来ない、グズでバカなのが私なんだ。

それは事実だとしても、卑屈になる必要も歯がゆく思う必要も無い。

人間だから上手く生きることが出来る人間が羨ましくもなる。仕方ない。
でも、それが私を否定するものではない。

人間だから、誰しもが「自分が世界で一番可愛いくて、世界で一番可哀想」なんだ。

きっと上手く生きている人も「世界で一番可哀想で、世界で一番可愛い人」なんだ。

もしかしたら「いや、全く可哀想ではないし、自分は世界一の幸せ者だ」と思っている人がいるかもしれないが、私には関係ない。

私には分からない価値観だから、私にとっては「いや、あなたも可哀想な人で可愛い人だ」としか言えない。
私の頭の辞書には無い。

大人になるというのは、この辞書の収録数が多くなることだと思う。

今の私は小学生が使う国語辞典にも及ばないが、いつか大辞林までにはなりたい。
死ぬまでにはなりたい。中型国語辞典だが、大学生必須の物だろう。

やっぱり文字は味方だった。敵ではない。申し訳ない。

ひたすら文字を打っている今は楽しい。ちょこっとだけ。

急に死にたくなって、ひたすら今入力しているが落ち着いてきた。

何なら今死にたいかもしれない。辛い悲しい悔しいと死にたくなる時よりかはマシだから。

タバコ吸いながらダラダラ物思いにふけるのが好きだ。でも鬱の時は何も考えない方が良いらしい。

どう考えても冗長な文章になってきた。

この時間で読書した方が有意義だろうが、まだ目が滑るから仕方ない。
傷病手当金の申請書も不備まみれで会社から連絡がきた。目がトリプルアクセルだ。

それに文字打たなきゃ死ぬんだから仕方ない。

私は文字が鬱と向き合うことに必要なんだから。

次のステップは目がスタッドレスタイヤになることだな。

文字との新密度25%くらいだから。

100%になったら楽しいだろうなぁ。

冗長だぁ。

サポート頂けると幸いです。 生活再建のために使わせて頂きます。いつか自分の記事を笑い飛ばせるように。