「人事(じんじ)」と「人事(ひとごと)」の差

公務と人事とキャリアが重なる領域に棲んでいることを自負しているので、「人事」への想いを綴ります。

「人事」を音読みすれば「じんじ」ですが、訓読みすると「ひとごと」になります。「じんじ」か「ひとごと」かは大きな違いのはずなのですが、「じんじはひとごと」みたいな冗談もあるとかないとか…。

職場に人事部の職員が来た時、みなさんはどのような反応をするでしょうか?
「人事」が人事権という権力を持っている(ように見える)ので、残念ながら人事に対してネガティブなイメージがあることもしばしばです。
経営を支援する戦略的人事が求められるようになっているにも関わらず、人事が「ひとごと」になっていては全く期待できません。

私は「人事」のことを「人」と「仕事」を科学と情理で現場の想いに寄り添いながら結びつける接続環だと理解しています。

「人事」における「人」は、その組織の構成員や関係者の理解です。
人は、それぞれが、様々な想いを持っています。実現したい生き方・働き方、大切にしたい価値観、育てたい資質・能力、身に付けたい技術・技能、感じたい承認・成長、円満な人間関係、充実したプライベートなど、人によって全てが異なります。

「人事」における「仕事」は、その組織が実現したいことの環境整備です。
組織が何等かの目標達成のために活動します。人事はその活動を支援するために、日々の業務の遂行や管理、“適所適材”の実現、組織開発や能力開発、労働条件の整備など、様々な役割を果たすことが必要です。

「人事」がこれらの「人」と「仕事」を担うことは、構成員や関係者・経営者が抱く想いに応えていくことになります。
そのためには、想いに寄り添ったプロセスを考えられる学際的な“科学”が必要であり、現場の共感を得ながら科学的なアプローチを実装できるようにする“情理”を持つ必要があります。

人と仕事の接続環

「人事」は学際的な世界なので、ある課題に対する解は一つと限らず、一方では正しいと思われるものが、別の側面からは問題がある場合もあり、極めて面倒な世界です(この点は行政に類似します)。
面倒ではありますが、科学と情理で想いに寄り添い、それぞれの成長や目標・目的の実現を支援することが「人事」の仕事だと考えています。

科学も情理も欠けてはならない要素なので、どちらか一方や両方が欠けてしまった時、「人事」の「ひとごと」としての側面が現れてきます。
「ひとごと」として処理すれば、人事の仕事は楽になりますし、厳しい人事制度も容赦なく適用できてしまいます。
しかし、そんな人事が横行する組織は、いずれ選ばれなくなること必至です。

人事に関わる人には、「人事」を「ひとごと」として処理させようとする悪魔のささやきに負けない強さが必須です。
そのために、可能な限り科学と情理を磨くことが、人事に関わる人に求められる姿勢なのではないでしょうか。

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