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人事と人権

人事の仕事には、人権に関わることが多くあります。
公務員には基本的人権を保障する憲法擁護義務があるので、当然、職務遂行でも人権を意識します。民間企業でも(憲法の私人間効力という論点はありますが…)人権侵害につながる行為は基本的にNGです。
人事の関係で特に問題になりやすい採用やハラスメントに関しては、差別や人権侵害を防止するためのガイドラインがあります。しかし、何が差別や人権侵害に当たるのかは個別具体的に判断せざるを得ません。
残念ながら、組織が大きくなれば、どんなに防止措置を講じていても、残念な事案が生じてしまうことはあります。人事にとって、この時の対応は、ガイドラインや判例、裁判例、公務の事例に沿って処分を判断することが安心材料になります。処分対象者が処分を不服として訴訟を起こす場合も考えられるので、慎重に対処する判断自体は誤りではないとも思います。
しかし、人権事案について前例踏襲の判断をしていくことは、組織が人権と向き合う本質を忘れさせてしまう危険があるのではないでしょうか。

悪の陳腐さ

法令やガイドラインに従っていれば大丈夫という判断は思考停止につながります。
第二次世界大戦で命令に基づいて大量虐殺を粛々と実行したアイヒマンは、裁判においてただ命令に従っただけだと言い放ちました。ハンナ・アレントは、これを愚かさではなく思考停止によるものであり、「悪の陳腐さ」と形容しました。法令や命令の忠実な実行者に陥れば、自覚せずに深刻な人権侵害を犯してしまう可能性があります。
ここまで極端な話ではなくとも、過度に法令、ガイドライン、前例を拠り所にしていると、本質的に守らなければならない価値を見失ってしまうのではないでしょうか。ある事案の対処にあたり、これらに拠り所を見いだせなければ不問に付すという性質の話ではありません。
大切なことは法令、ガイドラインを守ることではなく、差別や人権侵害をしないことです。そのためには、どのような場合が差別や人権侵害となり、それを防止するためにどのような措置や行動が必要なのか、法令やガイドラインに記されている趣旨を社会情勢に照らして、私たち自身が理解を深めていくことが不可欠です。 

私たちはそれを許すのか

法令で禁止事項の全てを規定することはできません。ガイドラインでも全てを例示できるわけではありません。法令やガイドラインは指針に過ぎません。特に人権という人間の尊厳の根幹に関わる事柄は具体的に規定することが難しいです。
何がダメで、どのような文脈であれば許容できるのかは、私たちが個別具体的に判断するしかありません。法令、ガイドライン、前例は、私たちがそれを許すのか許さないのかを判断するための参考に過ぎません。
個別具体的な判断である以上、法令やガイドライン、前例を云々するのではなく、私たちで判断していく必要があります。そのときの基準は、「私たちはそれを許すのか」という一点であり、つまり、私たちの良心に従って判断するしかありません。

良心を磨く不断の努力

日本国憲法
第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。
 
何が差別や人権侵害につながるのかは、私たちが不断の努力で考えていかなければならないことです。法令、ガイドライン、前例は過去の判断の積み重ねの共通項でしかありません。これらを拠り所に判断することは、私たちが何を許し、何を許さないのかを考えることを放棄しています。
法令、ガイドラインの記載や解釈が明確ではなく、前例も乏しい事案であっても、「私たちはそれを許すのか」を基準にして考えれば、これらは全く関係ありません。例え、法令やガイドラインに照らしてグレーなことであっても、前例に照らして過剰な処分であったとしても、人権という特に大切なことだからこそ、私たちの良心を示していくことが大切です。拠り所を求めるのではなく、ただ、私たちの良心に基づいて自信をもって判断すればいいだけです。


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