橋を架ける仕事について往復書簡#05-01

1週間はとっても早い。洪@東京のにしがわです。

うだるような暑さの中、マスクをしている人々。去年の今頃は考えられなかった風景です。とはいえ、地域の活動も軒並み中止から感染拡大防止措置をしての実施も増えてきている中で、私たちもどう橋をかける仕事をアップデートさせるかだなぁと思ったり。

瀧内さんの仕事化とそのきっかけの話、私とは全然違うのだなぁと興味深く読みました。
私は、大学を卒業した後上京してその後照明会社に入社するんですけど。当時は商品開発の部署で家庭用照明器具のデザインと品質管理をしていました。
地域のこととか、誰かと一緒に何かをやるとか、調整するとかそういうのはむしろ苦手でした。面倒だと。これをいうとすごい驚かれますが。

そして就職した会社は良い意味でそんなに大きくない会社だったので(私が入社した時は)、いろんなことを任せてもらえて。上司や環境に恵まれていたんですよね。自分がデザインしたものがインテリアショップや某米国コーヒーチェーンのインテリアなどで見かけたりして一定のやりがいはあったのですが、同時に大量生産やファッションのように消費するインテリア業界にちょっと疑問も感じるようになってきて、ものづくりができる嬉しさと、本当に自分作ったものって社会に必要?という悩みを行ったりきたりしていました。そんな私の状態を察知したのか(笑)、上司から普段の業務と並行して展示会の事務局的なことやってみないかと声をかけられました。当時はIFFTなど大型展示会から、仲の良い企業何社かで場所を借りて合同展示会をするのが始まった時期で。会社が東京の下町にあるから、同じように東東京で頑張っているインテリアのメーカーに声をかけて蔵前で展示会をやってみようとなったんです。

で、この合同展示会を進める中でいろんな人と出会いました。その中で、参加される方達の、東東京エリアへの想いを聞くことになるんです。ものをつくるだけじゃなくて、ものづくりをさせてもらっている地域への感謝とか還元について1時間2時間話しちゃう。それがすごい衝撃でした。自分が面倒だなと思っていた地域の活動とかってこういう想いでされていたのかと。
そこからは商品だけでなくこんな想いを持っているたちがいるよ、こんな場所なんだよってことを伝えられる展示会を目指そうと思いました。
実際にはまだ会社員でしたが、自分じゃない誰かが考えていることをかたちにするのを支援するのって、とっても面白いことなのかもしれない、もっと人の想いを聞いて、かたちにする仕事がしたいと思ったのが、橋をかける仕事に興味を持ったきっかけです。そのあとすぐ会社を辞めることを決めました(笑)。

え、あれ?きっかけで1000字越えちゃった!
というか、これ橋を架ける仕事をしたいと思ったきっかけであって、仕事化のきっかけでは、、ない。。(ここまで書いておいて)
どう仕事化したかとそのきっかけは、2枚目(来週)でもいいでしょうか?
連続になっちゃってすみません。

洪 華奈

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