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コントラクトブリッジの歴史をまとめてみた④<世界選手権大会〜国際組織の設立、「ミスターブリッジ」チャールズ・ゴーレン>

「コントラクトブリッジの歴史をまとめてみた」シリーズの4回目です。前回は、ブリッジ界のレジェンド「エリー・カルバートソン」の活躍などを中心に20世紀前半のブリッジ界の流れを概観しました。今回はその後のブリッジ界の動向や戦後のブリッジブームがどんなものだったのかを見ていこうと思いますー。

(前回までの記事はこちら↓)
①<ブリッジの祖先「ホイスト」〜19世紀ごろまで>
②<ホイストの派生ゲーム〜コントラクトブリッジの誕生>
③<コントラクトブリッジの流行〜エリー・カルバートソンの活躍など>

第一回世界ブリッジチーム選手権大会の開催(1950)〜世界ブリッジ連合の設立(1958)

前回も少し述べましたが、コントラクトブリッジが流行すると、1930年代以降、欧米圏を中心にブリッジの競技団体が組織され、国別対抗試合が行われるようになりました。

1932年にはヨーロッパ大陸でthe International Bridge Leagueが設立され、第1回ヨーロッパ選手権が開催されます。その後、この組織は1947年に現在のThe European Bridge League (EBL)へ発展します。(EBLの概略についてはこちら
また、コントラクトブリッジの祖先のゲーム「ホイスト」が生まれたイギリスのイングランドでは1936年にThe English Bridge Union(EBU)が設立。(EBUのHistoryのページはこちら
アメリカでは、それまでに存在していた複数のブリッジ組織が合流し、1937年に現在のThe American Contract Bridge League (ACBL)が設立されます。(ACBLのHistoryのページはこちら

そして、このヨーロッパチーム、イングランド、アメリカの3者によって第一回世界ブリッジチーム選手権大会が1950年に開催されます。この第一回大会がイギリス領であるバミューダで開催されたため、その優勝杯はこれにちなんで「バミューダ・ボウル」と呼ばれています。
その後、欧米圏以外の国でもブリッジ団体の組織化が進み、1958年にブリッジの国際組織「世界ブリッジ連合」(The World Bridge Federation, WBF)が設立されることとなりました。(そして、先述の「世界ブリッジチーム選手権大会」は、このWBFが主催する大会となりました。)

ちなみに、日本におけるブリッジの競技団体「日本コントラクトブリッジ連盟」は、1953年に設立されています。

「ミスターブリッジ」チャールズ・ゴーレン

コントラクトブリッジの歴史における最初のブリッジブームを牽引したのが前回の記事で紹介したエリー・カルバートソンであったならば、戦後の時代にその役割を果たしたのはチャールズ・ゴーレン(Charles Henry Goren, 1901–1991)だったと言えるでしょう。
アメリカ出身のチャールズ・ゴーレンは学生時代に法学を学び、弁護士となりましたが、元弁護士でオークションブリッジの権威でもあったミルトン・ワーク(1864–1934)に師事し、弁護士を辞めてブリッジに専念するようになります。
そして、ワークがオークションブリッジの時代に提唱していたアイデアを元に、ゴーレンは1936年に「4-3-2-1システム」という、手札の強さを検討するためのメソッドを発表します。発表されるや否や、このシステムはアメリカで瞬く間に広まり、エリー・カルバートソンが提唱していたメソットに取って代わるものとなりました。さらに、1942年に出版した『Contract Bridge Complete』も好評を博し、ゴーレンの評判が高まります。

そうした著述活動ばかりでなく、ゴーレンはブリッジプレイヤーとしても活躍し、1930〜40年代の間にいくつもの国内の大会で勝利を重ね、1950年の第一回世界ブリッジチーム選手権大会ではアメリカ代表として優勝に貢献しました。
その後もプレイヤーとして華々しい活躍を続け、1950年代末になるとゴーレンは『Time 』や『Sports Illustrated』といった有名雑誌の表紙を飾るほどになります。さらに、1959年からは「Championship Bridge with Charles Goren」というテレビ番組がスタートし、ゴーレンはその司会を務めました(番組は1964年まで)。その他、ゴーレンがプロデュースしたブリッジの教材やグッズなども多数製造・販売されるなど、その実績や人気ぶりからゴーレンはブリッジブームを象徴する存在として「ミスターブリッジ」という称号を与えられるほどになりました。
(「Championship Bridge with Charles Goren」については過去に記事を書いたことがあります。↓)

1960年代後半以後、ゴーレンは健康上の問題で選手活動を引退し、執筆活動に専念するようになりましたが、戦後から1960年代にかけてのブリッジブームの立役者はゴーレンその人であったのでした。

なお、エリー・カルバートソンやチャールズ・ゴーレンなど、ブリッジ界での活動を表彰する「The Hall of Fame」を受賞したプレイヤーの来歴などについてはACBLのウェブサイトで詳しく紹介されているので、ご興味ある方はご参照ください。

というわけで、今回はブリッジの国際化の流れと戦後のブリッジ界のスーパースター「チャールズ・ゴーレン」の活躍についてご紹介しました。次回は20世紀後半のブリッジ界がどうなっていくのかを執筆予定ですーではー。

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