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自分史④《シェアサロン時代〜fukadasoとの出会い》


シェアサロンの難題

理想的なシェアサロンと巡り会えて、鼻息荒く独立の小さなスタートを切った私。
その時は、シェアサロンが西東京中心にあったので、西東京中心に活動していました。
『活動していました』なんてカッコよく書きましたが、いやいや、ほとんど開店休業みたいな感じ。
仁義を通して、横浜で働いていた時のお客さんには独立することは伝えず…の独立。
まぁ、もともと自分についていたお客さんは少なかったし…。
(そんな中でも、独立先を聞いてくださった数名のお客さんにはお伝えしましたが…。)
優しいテレアポの同僚がお客さんになってくれたりして、全くゼロというわけではありませんでしたが、やはり物足りない感じでした。。
そして、正直なところ、シェアサロン代もそんなに安くない。
また、お客さんの予約とシェアサロンの空きとが合ったときにしか予約がとれず、すぐに予約の返事ができないな〜というのにもフラストレーション。
また、シェアサロンなので、思い通りにサロンの住所などをチラシなどに書けないのもネックでした。。
初めのうちは、予約が入ることを見越して、先にシェアサロンを借りていたけれど、予約が入らなければ、ただの損失…。
すぐになかなか難しい壁にぶち当たりました…。。


シェアサロンでの素敵な出会い

とはいえ、この経験が無駄になったわけではありません。
例のリノベーション会社の取締役の方から、『シェアサロンの利用者さんでホームページを作ろうとしている人がいて、その撮影をするから植田ちゃん、モデルやってくれない?』とお声がけいただき、お客さん役で撮影に参加したことがありました。
これがきっかけで、デザイナーさんと写真家さんとお知り合いになったのですが、のちに私もこのデザイナーさんにBricoのロゴと、初代ホームページの作成を、写真家さんとは10年以上の時を経て、副事業として昨年立ち上げた、薬草茶のホームページ用の写真を撮っていただきました。
いまでこそ、イラレも使えるようになったし、ホームページの制作もできるようになりましたが、当時は何にもできない状態。
集客のために、ホームページやチラシが重要なのは、前に勤めていたの鍼灸サロンで重々承知だったので、迷わずデザイナーさんに、ロゴ、名刺、ショップカード、ホームページの制作を依頼しました。
私がまだ20代半ばだったからか、かなり良心的な価格でやっていただきました…
Bricoのロゴなんて、もう擦り切れるくらい使っています…。
ホームページも、特に動画要素もないシンプルなものでしたが、とても可愛らしく作って頂いたので、お客さんからの評判もよく、間違いなくBricoの最強力集客ツールでした。
少し話を脱線してロゴの裏話をしますと、デザインが上がってきた時、青い鳥と黄色い鳥から好きな方を、という形でサンプルを受け取りました。
青い方が爽やかな感じではあったのですが、完全に色味がtwitterとかぶっていたので、温かみのある黄色を選択したというストーリーがあります。
(今や、twitterの青い鳥は葬られてしまいましたが…)


自宅兼サロン物件を探し始める

ありがたいことに、素敵なホームページ効果もあり、シェアサロンでも新規のお客さんが来てくださったりなんかして、本当に嬉しかったです。
ただ、やっぱり使いづらさも感じていて…
当時、私はまだ前の勤務の名残で、横浜に住んでいました。
テレアポも飲食店のバイトも中央区だったのですが、毎日1時間ちょっとかけて通ってました。
飲食店のバイトがある時なんか、たまに終電乗れなくて、有楽町あたりのカラオケに泊まったこともありました。
西東京のシェアサロンはさておき、比較的行動範囲が東東京だったので、実はこのタイミングで一度、中央区のはずれあたり、隅田川を渡ってすぐくらいのエリアへ引っ越しを検討したこともありました。
いくつか内見にいったんですが…
当時住んでいた横浜の物件と比較すると、ものすごく小さいし、理解不能な間取りだったりで、且つめっちゃ家賃高い…。。っていうので、早々に諦めていました。
でも当時、シェアサロン代も換算すると、結構な金額を支払っていたので、『少し広めの部屋に引っ越して、自宅兼サロンになるような物件を探してみようかな』と思い始めました。
そうしてまた、私の不動産検索が始まったのですが…

やはりたどり着いたのは、素敵なリノベーション物件(笑)。

やっぱり私は、古い建物が好きみたいで。
それを上手に活かしてリノベーションした家が、好みのよう。
シェアサロンを見つけた時のように、またどんどんとリノベーション物件を検索していって…

辿り着いたのは、売買物件でした(笑)。
というか、リノベーションという概念って、そもそもが『中古物件を買って、それをお直しするもの』なんでしょうね…。今思えば。
本当に素敵な内装を施工するリノベーション会社さんのサイトに辿り着き、そこに目が釘付けになったのを覚えています。
自分のサロンを飛び越えて、なんだか将来の自分の家も想像しちゃって。
『実際に見てみたいな〜』と思ってしまって止まらなくなり、直近で予定されていたオープンハウスに行ってみることに。
『見るのはタダだし!』という、ど根性。
今思えば、20代のそのポジティブさと図太さ、関心でしかない…。

でも、このなんでもない行動が私のターニングポイントになるなんて、その時の私は想像もしていなかったでしょう…。


そのオープンハウスは、池尻大橋でした(はず)。
池尻大橋に降り立つのは、その時が初めて。
広島時代、同僚以外に友達がいなかったのがいい経験となり、すっかり一人行動も難なくできるようになったおかげで、ショールームも難なく一人で参戦!
当時20代半ばの私。
家を買うには早すぎる…きっと、一際目立っていたのではないかと思う…。
そんな確度低の私に、スタッフのおねぇさんが声をかけてくれました。
ひやかしでオープンルームに来てしまった私は、咄嗟に、
『いや、家を買いたいわけではないんですけど…実は、私、鍼灸師で…
今、シェアサロンを使って独立したんですけど、自分の家の引っ越しも考えていて。少し広い部屋に引っ越して、自宅兼サロンになるような物件を探しているんです。探していたら、こちらのリノベーション物件が出てきて、一目惚れして、一度見てみたいと思って、来てしまいました…買わないのに、すみません…。』
というような弁解をしました。
そしたらおねぇさんは、
『そうなんですね〜!じゃあ、何か面白い物件があったら、紹介しますね!』と言ってくれ、トンチンカンな20代に名刺までもくださいました…。
その後、事前にリサーチしていたカフェでお茶をしながら読書をして、『やっぱりすてきなお家だったな〜』と、満足して帰途につきました。


はじめて、清澄白河

その後記憶が正しければ、そんなに期間が開かない間に、その仲介のおねぇさんから連絡が来ました。

『オススメの物件があります!』

見たら、それは私が希望していた広めの住居兼サロンの物件ではなく、完全にワンルームのテナント用物件でした。

『え!違うやん…!!』

心の中で叫んだけれど、その物件は確かに私の理想ドンピシャな物件だったのです。
ここで、少し回想いたします。
私は愛知出身で、高校を覚王山という地に通っていました。
この覚王山という街、私は本当に大好きでした。
日泰寺という大きなお寺があって、その参道は商店街になっている。
昔からあるお店もあれば、新しいお店もあるのだけど、その新旧入り混じる感じがすごく違和感なく素敵なところでした。
その覚王山商店街を中心に、デザイナーさんがとても素敵なマップを作っておられて、それもますます覚王山という街を増し増しに見せている感じ。
そこで見つけた、『覚王山アパート』という、お店。
古い木造賃貸アパートをリノベーションしたお店で、その中にカフェやクリエイターさんが集い、小さなお店の集合体のような場所でした。
もちろん、足を運んだことがあるのだけれど、足を踏み入れた瞬間、(得意の)アドレナリンが大放出!
直感的に、『私も初めてのお店は、こんなところでやりたいな』と思った瞬間でした。

話を戻すと、仲介のおねぇさんが紹介してくださった物件は、同じくして木造賃貸アパートのリノベーション物件でした。
その時も、覚王山アパートを訪れた時と同じように、アドレナリンがブワッ!と出たのを覚えています。
愛知の田舎者だったが故、『東京にも、こんなところあるの?』とさえ、思いました。

連絡をもらって、早速、街を見に行くことに。
『清澄白河』という街。
正直、知らなかった。
当時は西東京ばかり注目されていたのもあって、全然土地勘なし。
(でも実は、私は当時からバイトで門前仲町や、派遣で勝どきに通っていたりしていました。なので、前述した都内の新居探しも、実は清澄白河界隈であったことは、後々、だいぶ経ってから気付く…。)
清澄白河に降り立った瞬間の感想としては、『何にもないな』と思ったのを今でも覚えています。
得意のカフェリサーチも、あまり引っかかるものがなかった。
西東京とは、えらい違いだ…

この時、紹介してもらった物件の住所などの詳細は、まだ教えてもらっていなかったのだけど、得意のリサーチ能力と素晴らしきGoogleストリートビューの機能を駆使して、『ここかな?』という目星をつけていました。
実際に足を運んでみると、まだビニールシートに覆われていて、外観すらしっかり見えなかった…。
建物の外観すらわからないので、仕方なくひとしきり周りを散策して、駅に近いところにあったカフェで一息ついて、帰宅。
『やっぱり本当に何にもない街だな』と思いながら、横浜の自宅へ帰っていきました。


はじめまして、fukadaso

その後、仲介のおねぇさんから再度連絡をいただき、完成間近の物件の内装を見せてもらえることになりました。
あの、ビニールシートの中に遂に突入…!
今でこそ、毎日当たり前のように出入りしているのだけれど、やっぱり始めの感動ったらありませんでした。
探りで行った前回では見ることができなかった外観は、エイジング加工(ペイントだけで表現されているらしい)を施してあるトタンが張り巡らされた、インダストリアルな雰囲気。
男臭い感じに、再々度のアドレナリン放出…!!!
1階は飲食店などの大きなテナント用で、2階は1ルームくらいのお部屋が4つ。
私に紹介してくださったのは、2階の物件でした。
早速2階に上がってみると、外観とは相反するような雰囲気。
田舎の古い木造校舎の廊下のような、風景。
まだところどころビニールシートが残っていて、仲介のおねぇさんは、私が内覧1号だということを教えてくれた。
最低限の手直ししかせず、昔ながらの姿を生かした内装。
廊下と部屋に嵌め込まれた、昔ながらの模様の入った摺りガラス。
少し時間をタイムスリップしたような、且つとても居心地の良い気分になりました。
話によると、築50年の風呂なし木造賃貸アパートをリノベーションした物件だそう。
リノベーション会社さんも、『このままでいい』とこのアパートが気に入ったそうで、ほぼ最低限の手直ししかしなかったそう。

『ここはトーキョー。こんな物件、逃したら次に出会えることはきっとないだろう…』

内覧第一号の特権、『今だったら、好きな部屋選べるよ!』と仲介のおねぇさん。
そもそものことの始まりは、『自宅兼サロンで固定費削減!』だったはずなのに…
この物件は事務所かテナント物件なので、ここを選んだらW家賃になる。
むしろ、シェアサロンよりも高くなる……

でも結果として、私は即決してしまいました。
言わなくてもご察しの通り、この物件が現在もspa Bricoを構えている、fukadasoです。
ちなみに余談ですが、204号室を選んだのは一番奥で人の出入りが少ないであろうことと、私の誕生日が2月4日だったからです。

こうして、後先考えずにfukadaso入居を決めてしまいました。
fukadaso住人第一号が、こんな20代そこそこの若造だなんて…
今考えてみたら、大家さんの懐の厚さに感謝でしかないです。
そこで断られていたら、私は今、どうなっていたんだろう?
それに、仲介人のおねぇさんがfukadasoを紹介してくれていなかったら、私はどこで何していたんだろう?
そう考えると、この時の全てのご縁に感謝でしかありません。
改めて、支えてくださった皆様に感謝したいと思います。
それから、突拍子もなく行動した自分にも、今となっては尊敬でしかないですね。

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