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自分史1《学生期〜鍼灸学生になるまで》

はじめに

10周年を迎えて、もろもろ自分の心の中で一区切りになりました。
それを踏まえて、ちょっとこれまでのBricoの経緯を綴ってみようかな、と思います。
半分は自分の記録でもありますが、もし、これから自分のお店を作りたいと思っている方の参考にもなったら嬉しいです。

どくそ感想文からのはじまり

子供の頃、夏休みの宿題の読書感想文が大嫌いでした。
課題図書を読んで、感想文を書かなくてはいけないという、あれです。
感想文というか、どうしても読んだ本のレジュメになりがちで、子供心ながらもいつもしっくりきていませんでした。
小学校の頃から負けず嫌いで、(家族に聞けば、もっと幼い頃からその性格は垣間見れていたようですが笑)そのおかげで割と勉強もやれる方だったと思います。
だからこそ、読書感想文が私の中でものすごく足を引っ張っていました。
もともと本を読むのは好きな方なのに、なぜだ!!?
と考えた結果、『そうだ、興味ない本読んでるから感想もくそもないよね』と気付き、ある年の夏の読書感想文に、自分の好きな本を選んでみることにしました。
その時選んだのが、サッカーのレジェンド、『キングカズの物語』笑。
小学校高学年の女の子が選ぶ本じゃないですよね笑。
でもキングカズの物語を読んで、自分にアドレナリン出てるのがわかりました。
私のその時の記憶が正しければ、カズはサッカーのために17か18歳くらいのときに単身でブラジルに行ってるんですよ。
その勇気にひたすら感動して、結果、サッカー界のレジェンドに。
『かっこいい!!!』と、胸熱になった記憶は忘れられません。
カズのストーリーについて、私がどんな感想文を書いたのか覚えてないですが、結果的にその作文は賞をもらうことができました。
それくらいの頃から、自分の人生でやりたいことについても意識するようになったのかも…。
カズの自伝が私の幼心に影響を与えたのは間違い無いかもしれません。


スポーツトレーナーの夢から鍼灸の道へ

中学、特に高校ではバスケットボールに没頭し、中学までの文武両道はどこへやら…バスケしかしてませんでした。
自分なりに頑張ってはいたけれど、特に自分の中で満足する結果には至らず。
高校は私立でエスカレーター式に大学にも上がれたけれど、私はその大学で学びたい分野がなく。
バスケットボールを続けていく中で、自分が怪我をした時、『どうしたら早く治るか』『テーピングはどう巻いたらいいか』と、早く練習復帰できることばかりを考えていた結果、人体の生理学について興味が湧いてくるようになりました。
またテーピング巻くのも好きで、怪我した時に整形外科に連れていってもらった時、理学療法士さんが私にテーピングを巻いてくれたことがありました。
私はそれを自分で実践しようと思って、巻いてくれているのを必死で見て覚えようとしていたら、その熱い眼差しに理学療法士さんが気付いたのか、『巻き方、知りたい?』と言ってくれ、教えてもらって自分で巻いていました。
そんな経験で『胸熱』を感じたので、高校を卒業後、私はスポーツトレーナーになる道を選択しました。

そこからスポーツトレーナーの専門学校を探し、結果として鍼灸とスポーツトレーナーの勉強ができる、名古屋の専門学校に進学することに。
このとき、なぜ鍼灸も選択したかというと、誰かに『スポーツトレーナーの資格は民間資格だし、プロ野球選手のトレーナーにならない限り、それで飯は食っていけない。柔道整復師か鍼灸師の資格があったほうが、将来開業することもできるし、可能性があるよ』と、アドバイスをもらい、結果のアドバイスに忠実に従うことに。
なので、入学した時点では、一度も鍼灸を受けたことがありませんでした笑。
どちらかというと、この時、私は『鍼灸はスポーツトレーナーのオマケ』と考えていたのかもしれません。


鍼灸学校の通学と美容への興味

鍼灸の専門学校は、一般的に平日半日、3年間通学します。
学校を卒業したら鍼灸師になれるわけではなく、卒業時点では鍼灸師の国家試験の受験資格が得られるのみです。
試験に合格したら、ようやく鍼灸師になれる!といったしくみです。
これまで学校といえば、同じ年齢の友達しかいませんでしたが、鍼灸の専門学校には、さまざまな年齢の方が通学しています。
私のクラスには、リタイア後に入学したという方も。
日中仕事をしながら、午前中か夜間で通学している人もいました。
私はスポーツ鍼灸専攻でしたので、午前中に鍼灸の授業、午後は夕方までアスレティックトレーナーの授業がありました。
スポーツトレーナーに興味があって進学したこの学校だったので、トレーナーの事業は楽しかったですが、学んでいくたびに『チビだと大きいスポーツ選手のケアするの、結構たいへんやな…』というのに気付き、結果として年頃でもあり、『鍼灸と美容を結びつけてはどうか?』と思い立ったのが、今のBricoの始まりです。
当時、おそらく20歳くらいかな?今からだと16〜7年前。
今ではありふれている美容鍼灸も、当時ではまだ激レアで、勉強の方法もなかった。
しかたなく、アロマセラピーと鍼灸をそれぞれ勉強していましたが、大事な『それらを絡めるポイント』が自分の中でも見つからず、なんとなく勉強する日々…。
そんな中、クラスのお姉さんが『これ、うえちゃん好きそう!』と言って紹介してくださった、顔のツボを使ったフェイシャルトリートメントの本。
それはまさに私のドツボで、すぐに著者の人に連絡をしました。
こういう、『胸熱からの即行動!』は、若さだからが故ですよね。
(自分のことながら、若い頃の自分を尊敬します笑。)
結果として、それで知り合った先生とのご縁が、私のひとつの人生のターニングポイントになっています。
著者の先生は東京でサロンを営んでいる、鍼灸師のご主人とエステティシャンの奥様のご夫婦でした。
ご主人が鍼灸師であったのは完全にノーマークで、棚から黄金の牡丹餅、落ちてきた思いでした。
それから私は、名古屋の鍼灸学校に通学しながら、長期休みには東京へ通って、美容鍼灸とフェイシャルトリートメントを勉強させてもらいました。

ようやく自分が学べる場所がみつかれども、まだまだ当時は美容鍼灸は駆け出しの頃。
今では美容鍼灸用の針がたくさん出回っていますが、当時はなく、むしろその先生にお世話になっていたおかげで、開発段階の美容鍼灸の針の試し打ちなどにも参加させてもらいました。
とても貴重な経験をたくさんさせていただいたと思います。
ただそのとき感じたのは、せっかく勉強したのにも関わらず、アウトプットする場が少ないな、と感じていました。
バスケも勉強も、おんなじことを何度も繰り返して、自分に刷り込んでいきます。
それでようやく自分の技術になると思っているのですが、この時の美容鍼灸は、圧倒的にやれる機会が少なかった。
これは就職してからも同じで、なかなかもどかしかったです。

次回は国家試験と就職のはなしを書こうと思います。

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