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風が吹いた、花が揺れた

ぼんやりと歩く。なるたけ車の少ない道を選んで歩く。コンクリートの地面が土に変わる。緑が増えて、水の流れる音が聞こえてくる。それだけで心が落ち着いて穏やかな気分になってくるから不思議だ。何か色々と考えていたはずだが、歩くほど言葉は少なくなっていく。「これでいいのだ」とバカになっていく。

詩人の山村暮鳥は詩集『雲』のまえがきに「詩が書けなくなればなるほど、いよいよ、詩人は詩人になる」と書いている。冗長な表現を削ぎ落とし、よく見せようとか、上手く見せようといったさかしら心を消していく。自分を省みて、表現を突き詰めようとするほど、安易に言葉がおけなくなってくる。詩人はそういうことを言おうとしていたのではないかと思う。

風が吹いた、花が揺れた。自分が感じたことを人に伝えようとするには、言葉が必要だ。しかし感情がアナログなら、言葉はデジタル。0と1の間にある膨大な間を伝えようと言葉を増やすほど、両者の距離は離れていってしまう気がする。

詩人の生みの苦しみはそのバランス調整と、適切な言葉探しにあるのかもしれない。また、それが音であったり絵であったりもするのだろう。

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