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【奈良旅2日目②】吉野山の千本桜

脳天大神龍王院の階段を登り、金峯山寺(きんぷせんじ)に戻ってきた。奥千本行きの竹林院前バス停には大勢の人が並んでおり、二台目のマイクロバスに乗り込むことができた。

吉野山、下千本(2024.4/11)

吉野山の桜は標高に合わせて下千本、中千本、上千本、奥千本と呼ばれ、それぞれ開花の時期が微妙にずれている。今回の旅の救いは、奥千本が満開だったということ。バス停前で交通整備をしているおじさんは、「上千本、中千本の散った花びらが下から吹き上がってくる様子も美しいので、帰りはぜひ歩いて下山してみて下さい」と教えてくれた。

吉野山、奥千本(2024.4/11)

金峯神社の前で下車。満開の桜に包まれた坂道の参道を登っていく。神社横は鬱蒼とした山道になっており、そこから西行庵へと向かう。長めの急坂が続いた。

吉野山、西行庵(2024.4/11)

しばらく道なりに歩いていると、西行庵が見えてきた。西行が俗世を厭んでしばらく遁世していたといわれる場所だ。隠遁生活といっても街から少し離れたくらいの場所だろうという認識は覆り、本当にこんな山奥に一人で暮らしていたのかと仰天した。厳密にはこの場所であったかは定かでないそうだが、西行が吉野山に庵を結んでいた時期があったのは確からしい。

苔清水(こけしみず)、西行の歌にも出てくる湧き水(2024.4/11)

山奥独特のひんやりした空気。鳥のさえずりと水の流れる音と満開の山桜のみがそこにあった。途中までは車で来ることができて、道もきれいに整備されている現代でも、ここまで来るのはそれなりに骨が折れる。西行の生きた時代を考えると、隠遁生活が決してポーズではなかったことがうかがえる。

奥千本、奥の桜の中に西行庵(2024.4/11)

ソメイヨシノのような派手さはないが、淡く凛と咲くヤマザクラは、平安鎌倉期の日本ではメジャーな品種だったという。庵周辺の山肌は雑木が伐採され丸裸になっており、桜が植樹されていた。数十年もすればこの辺りはより深く薄桃色に包まれるだろう。

奥千本、植林された桜(2024.4/11)

金峯神社に戻ってからは下山しつつ上千本、中千本を楽しんだ。水分(みくまり)神社はコの字型の回廊、拝殿が独特で、中央に立っている枝垂れ桜が立派だった。花矢倉からの眺めは、夜景写真やハガキで見る、いわゆるな吉野山の景色が見られる場所だ。

吉野山、花矢倉から(2024.4/11)

竹林院前のバス停付近まで戻ってきたら中千本を下り、如意輪寺に行った。そこからさらに下ってから、急なつづら坂を登り吉水(よしみず)神社に参拝。境内からの眺めは中千本、上千本から山頂までの桜を見ることができる絶景ポイントだ。しかし人が殺到し過ぎて、ゆっくり堪能できないのは残念だった。

吉野山、吉水神社から(2024.4/11)

吉野山のメイン通りともいえる土産街と金峯山寺前は早朝とは打って変わって大勢の花見客で賑わっていた。平日、しかも見頃を過ぎてこれだけの人が来るなら、満開時の休日はどうなっているのか。再び吉野山に来る時は、入念な計画と調べが必要だろう。

吉野山、中千本(2024.4/11)

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