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西行法師と桜のこと、アスリートとゾーンの話

いつ頃からか、桜の開花を心待ちにするようになった。毎年、気象庁が大真面目に桜の開花時期を予想するのは、なんて雅な仕事だろうと思う。さて、桜の歌人といえば真っ先に西行法師が挙げられる。全国を歩きながら、桜をテーマにした歌だけで230首以上も詠んだというから驚きだ。

「花に染む 心のいかで 残りけん 捨て果ててきと 思ふ我が身に」(西行)。花の色に心が染まっている。すべての執着を捨ててきたつもりなのに、どうして花に執着する心が残ってしまったのか。和歌に出てくる花は一般的に桜を意味する。あらゆる執着を捨てて出家したつもりでも、詩人としての感性が掴んで離さなかった桜の魅力とは何だったのだろうか。

昨年の桜。今年の開花は遅れているらしい(2023.3/24)

西行の歌にはしばしば、忘我の境地で桜を楽しむ姿が見られる。自分の体から心だけが抜け出てしまうという感覚も述べており、それは一流アスリートのゾーン(フロー)体験の話に似ている。一説には、ゾーン状態ではすべてのものと溶け合っているような一体感があったり、他では味わえないような恍惚感に包まれるという。

アスリートがゾーンで最高のパフォーマンスを発揮するように、詩人のインスピレーションもまた、ゾーンによってさらなる深化を遂げる可能性は十分に考えられる。心地よいだけでなく、素晴らしい作品が次々と生まれる感覚は、捨てられないどころか取り憑かれたようになってしまうのではないか。

一人で歩くことで集中力が研ぎ澄まされ没頭状態に入っていく。孤独を突き詰め自然に親しんだ西行の道程は、はからずも芸術家としての修行になっていたものと考えられる。

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