「鍵の閉まる音」/都心で暮らす女性の細やかな感情の機微と、その切ない想いを綴った作品。
鍵の閉まる音
「ねえ、私たち付き合ってるのかな?」
このアパートで一人暮らしを始めてから
この言葉を何度言っただろう。
だいたいこちらが期待している答えは返ってこない。
こちらが質問したのに質問で返ってくる。
「付き合うって何?」
「そう言うこと気にするタイプ?」
ああ、聞くんじゃなかった。
そして、いつもよりよそよそしくなって
そんなに早く出かける用事もないくせに
「俺先出るわ」
さりげなく玄関先に鍵を置いて行ってしまった。
もう二度とこのアパートには戻ってこないんだろうな。
そう思って閉まる扉を見つめていた。
「ここめちゃ便利だね」
「なんか居心地いんだよなあ」
「ちょっとこれ置かせといてよ」
「シャンプー切れてたよ。買っておいて」
全部、違う人のセリフだ。
こんなことを言って、野良猫みたいに数日、
長い人は数ヶ月、うちで寝て、うちから出かけ、
うちに帰ってくる。
そこで、こちらとしては、
うっかり彼女気取りの態度をとってもまずいなと思って聞くのだ。
「私たちって付き合ってるのかな?」
この質問の答えを知るのに5年も費やしてしまった。
声を大にして言う。
「付き合っていない」
あの人たちはどんな手口でうちに入り込んだのか?
どんな手口で私の中に入り込んだのか?
みな同じだ。
家に帰るのがめんどくさい。
大抵、この人たちは郊外に住んでいて、
私のアパートは都心のどこにでも20分もあれば到着する。
いや、もしかしたらどこに住んでいるとか
関係ないのかもしれない。
それだって嘘かもしれないし。
彼女がいるのかもしれないし。
結婚している人もいたかもしれない。
「あの、私、仕事なんで先に出ますけど」
ここで起こさないのが悪いのだ。
「じゃ、鍵置いといて」
なぜ、起きない。
どうして、この家の鍵を
昨日出会ったばかりのあなたに渡して
家を出なくてはいけないのか?
「うん、じゃあ鍵お願いします」
で、数日後
「鍵返しに来たよ」
と言って、うちに上がり込み勝手に冷蔵庫のビールを飲み始め
「飲む?」
と聞かれ
「飲む」
と答える。
そのうち誰の家なのか分からないぐらい、
『自宅感』を出してくるので、
こちらが念の為、確認するのだ。
「私たちって付き合ってるのかな?」
こういうのはもうやめよう。
聞かないでおこう。
聞かなかったらどれぐらいうちにいるのか
世界新記録を作ってみよう。
「うわっ、めっちゃ近いな。超便利っすね」
やっぱり言った。
でも、そいつは違った。
朝、私より早く出掛ける支度をしている。
「じゃ、先に出ますね」
まずい、鍵を渡さなくては
「あ、鍵、閉めてってくれる?」
「は?」
「え?」
「いやいやいや、ないっしょ」
差し出した鍵が戻ってきた。
扉がしまった。
出ていかないで。
置いていかないで。
一人にしないで。
世界新記録に挑戦しようとしただけなの。
もうおっかしくて泣きながら笑った。
「こっちだってないよ!」
剛速球で鍵をゴミ箱に捨てた。
いつだってそうだ。
こちらが、少し能動的に動こうとすると失敗する。
だから、来るもの拒まず、
去るもの追わずを徹底してきたんだ。
もうやめよう。
ちょっと、目標を持ってみただけなのに、
こんなに傷付くなんて。
切な過ぎて死ぬ!
ゴミ収集車の音が遠くから聞こえる。
「もう8時半!」
ゴミ袋を持ってゴミ集積所に急いだ。
ゴミ袋をコンクリートの上に置くと、
小さく硬い音がした。
「だめだよ、こんなの捨てちゃ」
清掃員のお兄さんが、私の置いたばかりのゴミ袋を掲げて、
袋の中の鍵を指差した。
私は仕方なく、ゴミ袋から鍵を取り出し
「じゃ、あげます」
そう言ってその人の軍手にぐいと鍵を握らせ、
猛ダッシュでアパートに帰った。
「俺、先に出るから」
もう、言うまい。
玄関先に鍵は二つ並んでいる。
一つは私の鍵。
一つはゴミ袋から救出された鍵。
ベッドの中から見送った。
「じゃ、8時半に集積所で」
耳を澄ました。
ガチャリ。
鍵が閉められた。
今度こそ、目指そう。
付き合ってないのに同棲世界新記録を。
終
〈10ミニッツ サウンドノベル〉
YouTubeで動画を配信するにあたり、最初に決まった企画〈10ミニッツ サウンドノベル〉。
この10分のサウンドノベルを作るにあたって、テーマ〈お題〉を決めようという話になりました。
お題は、【職業】と【小道具】を各メンバーが一つずつ考え、それをあみだくじによって決めることになりました。
そこで
【職業】 ➡ 【清掃員】
【小道具】 ➡ 【鍵】
という風に決まり、このお題で6本のサウンドノベルを作りました。
noteでは今まで5本の作品を公開し、こちらの「鍵の閉まる音」が最後の6本目になります。
(YouTubeでの配信はこの作品が一本目)
同じお題でも、作者によってまったく毛並みの違う作品が生み出され、創作の面白さに改めて気づかされる企画でした。
ぜひ6作品を鑑賞して、自分好みを作品を見つけて頂ければ幸いです。
今後も様々な企画、作品を投稿していきますのでご期待ください。
ぶれるめん