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ぬるい眠りをなぞって眠って、眠りたいだけ眠ってみせてよ③

 ブルーライトが気になるが、寝る前に携帯を見ていた。
 一枚の写真が画面に映った。心臓を掴まれた感覚。目を離せずにいると目の縁の筋肉が固まってしまった。その写真は新緑の季節か、それとも腰かけているベンチの上、蔓がよく絡んだ古い日陰棚に日差しが注ぎ込み、乾いた砂に濃い葉陰をつくっていることから察するに、もう少し夏めいて見えるか。写っている女性のことを、僕は彼女のお母さんに随分と似てきたな、と思った。顔が小さくて手が大きく見える。口を押さえるわけでもなく鼻を触るでもない、照れ隠しで顔の前にただ持ってきた右手。ふざけて声をかけられた直後のように、どうしようもなく綺麗に微笑んでいる。モノクロなのに瑞々しくて柔らかい肌。歯の矯正は終わったのかな。この写真からはわからない。
 それは唐突に出てきた。知人が何かの拍子にSNSで出てくるのは今時珍しくもない。フォローしている美容室繋がりで、そこの美容師のその友達か、またその友達の友達なのか、まあどこかの美容師かアパレル関係か定かではないがそれっぽい人が仕事で撮った写真なのだろう。とにかくよく素性の知らない人の投稿がレコメンドされたものだった。その写真のモデルが偶然彼女だったのだ。
 多分、この世の写真だったり絵だったり音楽、文章などのひとつひとつは、今の時代全てアルゴリズムによって必然として計算され尽くされ、意図をもって露出される。偶然の出会いなどあるわけないのに、奇跡だとか縁だとか必然なんじゃないかと、受け取り手が馬鹿正直にそれを目で見詰めて、脳に焼き付けてしまったら最後。心に爪を立てられ、もう離れなくなる。抱っこされたくなくてソファにしがみつく猫みたいに、それはもうしつこくそこから離れない。
 何にせよ、もう会うことがない女の子の写真が急に出てくるなんていい迷惑だ。


 もう寝よう、明日も早い。いや、ソファにしがみつく猫? そうそう猫といえば、彼女のお母さんが大の動物好きで(動物好きに大小もないが)、小さい頃から家には何か必ずペットがいたらしい。金魚やカメから、シベリアンハスキー、肉食のフクロウまで。フクロウは冷凍のハツカネズミを解凍して食べさせると聞いてよくやるなあと感心した。
 彼女は家で飼っていた動物の話になるとぱっと顔が綻び、その話題がカメの時はカメの甲羅を丸く撫でるように、ハスキーの時はふわりと毛が生えた顎の下に手を当てて、もう片方の手で鼻の上をくすぐるようにしてパントマイムをしながら話した。それを見るたび、今でも彼女の中でちゃんとペットたちが生きているんだなと思っていた。
 現在進行形のペットは猫だった。体の大きなメインクーンと毛並みの長いラグドールと犬みたいに忠誠心の強いサイベリアンの多頭飼い。
 夏のベランダで彼女と電話をしていた時、スピーカー通話でお母さんも会話に加わっていた。飼い猫の話題になったので「なんて猫種なんですか?」と何となしに聞く。猫種なんて聞いたはいいものの詳しくもない。「色々いるけど、今膝にいるのはラグドール」と返される。それがどうしてもラブドールに聞こえて「ラブドール? そんなエッチな名前の猫いるんですか?」と驚いて聞き返した。間があったので彼女とお母さんが目を見合わせたのがわかった。「そんな訳がない」と二人に呆れて笑われた。電話越しでこちらも苦笑いすると、湿気のある風が吹いて、ベランダのウッドタイルの下にゴキブリのような何かが滑り込んだのが見えた。悲鳴を上げるとまた笑われたのだった。
 彼女が特に可愛がっていたのはそのラグドールだった。ラグドールは"ぬいぐるみ"という意味の名の通り、人懐っこい性格で抱っこが好きな猫だと言われているが、3匹の中で唯一のメスだからか彼女の抱っこは嫌がるらしく、抵抗して何とか降りた後、尻尾の先でぺしっと彼女の脚をはたいてくるのだという。それでも寝る時は一緒のベッドに潜り込んで彼女のつま先の横で寝る。夜に目が覚めて足の先がふわふわの毛並みに当たると、嬉しくて目が冴えてなかなか寝られなくなってしまうそうだ。

 デートに白い猫の毛をつけてくることもあった。ラグドールの毛だった。「コロコロしてくるんだけど、どうしてもね」といつも言い訳していたが、多分それは本当で、着てくる服を1週間前から悩んで悩んで決めてくるし、まつ毛が上がってないとテンションが下がり、リップグロスを5分に1回塗る彼女がそこだけ無頓着に猫の毛をわざわざつけてくるはずがないのだ。そしてそのくだりは「まあ猫もデートについてきたかったんじゃない?」と、いつも僕か彼女かのどちらかの一言で締まった。
 鎌倉に流し素麺を食べに行った暑い夏の日は格別の"ついてこられ方"だった。裁縫でもできるんじゃないかと思うほど、明らかに鋭利で硬そうな猫の髭が一本ぴょんと彼女の小さな顎の下にぶら下がっていた。好きすぎて猫の髭を移植したのかと思った。それにしても顎に? なぜ? 謎は深まる。
 それは女将が流す流し素麺を何個食べてもぶら下がったままだった。銭洗弁財天でありったけのお金を洗っても、明月院の裏の側溝でみつけたモズクガニを捕まえてくれとせがみ、アスファルトに這いつくばって手を伸ばして捕獲しようとした僕を爆笑しながら携帯で撮っていた時も、普通に暑すぎてタリーズで休憩していた時(確か自撮りをしていた)もついていた。しつこいが、鶴岡八幡宮の真正面の道路に負傷した鳩がいて、今にも車に轢かれそうなところを何とか歩道に避難させたはいいものの、どうしていいかわからずGoogleで一番最初に出てきた「日本野鳥の会」にわざわざ電話で問い合わせた時もついていた(結局、鳩は僕らがもたもたと社務所から人を呼んでこようとしているうちに、いつの間にか草むらに消えていった)。
 なんだったんだあれ? 確実に気づいていなかったから、言わなくてよかった。多分お守りだったんだろう。猫の髭は縁起物だから。

 "白百合の香りのあなたデートだねこれ持っていく? 転ばぬように"

 きっと女友達みたいなラグドールがこう詠んで、こっそり持たせたんだと思う。

 なぜ僕は一首詠んでから寝るの? もう流石にね、眠いなおやすみ。


*  *


「柊平、昨日お弁当忘れてったね。今日は忘れないで」
「大丈夫、今日は忘れない」
 今日忘れたらもう当分妻はお弁当を作ってくれないだろうな。
「持っていかなくてごめんだけど、ちなみに昨日のお弁当なんだったの?」
「ん? 肉まん」
「肉まん?」
「そう、肉まん」
 妻は最近パン作りにハマっていて、それが派生して肉まんも時々作ってくれる。お弁当には入っていたことはなかったが。コンビニと違ってとても美味しい。
「はは、それちょっと勿体無いことしたな」
「うん、また作るよ」
 磁石のフックに引っ掛けている鍵を手に取って、鞄の中にポンと落とし、ドアを開けた。寒い。マンションのアプローチに梅が咲いている。三寒四温。桜の季節に、早くなればいい。

 駅の階段を上っている時に、肉まんのお弁当で思い出す。

 "ホットケーキ持たせて夫送りだすホットケーキは涙が拭ける"

 雪舟えまさんの短歌だった。肉まんでも涙が拭けるのかな? この歌が収録されている歌集の後書きがとても好きだ。
 雪舟さんの飼っている兎は人間でいう百歳くらいの兎で「一日も可愛いをさぼったことないね」と唄いながら、抱いて部屋を歩いて見せてまわる。そうしているうちに日が暮れ、夜はだんなさんとお菓子を食べる。そのひとときのことを「ほっぺ」と呼んでいて、後書きを書いた日は箱に入ったカステラを食べたとある。
 ”大人になったら、すきな人と暮らして、すきなだけお菓子を食べて暮らしたいとおもっていた。その夢を今生きている。”
 後書きのエピソードはそう結ばれている。

 帰ってから、ホットケーキの歌と後書きを読み直した。
 やっぱりなんだか、思い浮かぶのは生成りで暖色なマンションの一室。抱っこされているウサギ。鼻をスンとしてゆっくり髭がもそもそと動く。ウサギの髭は何か御利益があるのだろうか。
 今日の「ほっぺ」がもしあるなら、イチジクのロールケーキがいいな。流石にイチジクはまだないかな。今日はもう遅いから、明日買ってきて妻と食べよう。マルコポーロの紅茶と一緒に。肉まんのお詫びで。
 僕もまさしく、大人になったら、すきな人と暮らして、すきなだけお菓子を食べて暮らしたいとおもっていたんだ。


 昨日の画像。猫の髭の彼女、驚いたけど元気そうな姿を見られてよかった。あなたはわたしの特別、どんな幸せもすべてあなたに降り注げ。思い浮かべたウサギの髭に、そう祈った。

(続)

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