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シャバアサナで本当に死ぬこと。

アサナのクラス。


毎日やっていると本当に面白い。

毎日新しい自分にチェックインして、動く。

朝なの時間、集中して動くことは

人生の3日くらいの波を丁寧に味わうようなこと。

感情を超えて、現象と丁寧に向き合うことができるから、

日常生活で言ったら3日分くらいの時間を過ごしているような気がする。

いや、多分今日は3日分だった。

それが1年分のような深いときもあるし、1ヶ月のようなときもある。

いい先生のクラスに参加した時など、

アサナの中で意識が飛んで、一生分の人生を味わい尽くしたような感覚に入るときもある。

それは私の状態や意識の濃縮具合によって違う。

そんな風にまっさらな自分で業と向かい合っていると

1日ごとに深まっていくので、毎日新しい発見がある。


今日の発見はとても大切だった。

アサナの時間を通して、私たちはシャバアサナで本当に死ぬ。

一度、そのカラダを大地に還す。

そして再生を体験する。

再創造。

毎日のアサナを通して、本当に死ぬのだ。

だからシャバアサナは睡眠のポーズとか、

地面に落ちた棒のポーズとかそんな名前ではなくて、死体のポーズなのだ。


ボディアウェアネスを謳っていながら、観察しておきながら

肉体として生きている感覚が希薄だった私はシャバアサナの意味を履き違えていた。

肉体としての意識が外れる瞬間として、宇宙空間に魂だけがぽかんと浮いているような感覚を味わってはいたけれど、そこと「死」が結びついていなかった。

今日はじめて、シャバアサナで死ぬということを理解した。

だって私は今世ではまだ死んだことないから、

シャバアサナと本当に「死ぬ」ことが結びつかないのは仕方がない。

今日は本当に死んで肉体が土に還っていくところを体験することができた。

死ぬときに、もし意識があったらこのような感じなのだろう。

ヨギは死ぬ練習をしているのだと先生に言われたことがあったけれど

そうだとしたらこういうことなのだ。

もしこんなふうにゆっくりと死んでいく体験の中で意識を働かせることができたら

私の魂は綺麗に肉体から抜けて、地球のナーディーへと還っていくだろう。


シャバアサナで私たちは死ぬ。

だから新しい自分として今日も生まれる。

こんなふうに余計なことを断ち切って

私たちはクリアになっていく。

純粋になっていく。

練習を積み重ねていくことでどんどんと確実になっていく真理が

意識の中に蓄積されて行って、新しい私が作られていく。

意識の中で真理の経験量が増えれば、単純に生まれ変われる。

ヨガのプラクティスは輪廻をも超えてカルマを清算する力がある。

それを発見した今日でした。


もっとそこにフォーカスしていくことで、

アサナクラスの効率も良くなってくる(本質的に突っ込んでいける)部分もあるのだろうと、

クラスのインスピレーションをいただきました。

ヨガすごいなー。





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