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「毒親育ち」を癒やす時代が来た!!

長年、毒親育ちであるということを、表に出さないように、隠して生きてきました。というより、話せなかったのです。

なぜなら、「毒親育ち」であるということを認めることこそが、
ずっと自分が見ないようにしてきた、
ずっと感じないように避けてきた、
自分だけが母親に愛されていないという事実を受け入れることになってしまう。
その「惨めさ」には到底耐えられない。
生きていけないと思っていたから。
「可哀想なじぶん」を認めるわけにはいかなかった。
そうしたら、歯を食いしばって耐えて生きてきたもの全てが、音を立てて崩れてしまい、立っている事すら出来なくなると恐れていたのです。

小学生5年生頃から、どうやら自分の家は、よその友達のお母さんとの関係性と違うということに、気付き始めました。
お友達のお宅は、3時になったらおやつが出てきて、なんならそれは、お母さん手作りのお菓子だったりする。
冬の夕方、部活で帰りが遅くなったら、途中までお母さんが歩いて迎えに来ている。
そして、寒いねと言いながら、肩を寄せ合い、仲良さそうに帰っていく後ろ姿。。。
土日には、近くのショッピングモールで、仲良く買い物をして、ケーキ屋さんでパフェをシェアして食べる。
私には、どれも経験のないことでした。

そんな友人たちの姿と、自分の生活のあまりの違いに苦しくなり、
わたしは、その友人たちと距離を取るようになっていきました。

仲睦まじい、母子の関係性を目にすることで、自分の惨めさが浮き彫りになってきたのです。
そして、誰にも、本当のことや寂しい気持ちは言えずに、心の中に大きな大きな壁ができていったのです。
そこからは次第に、自分の家庭環境を隠し、自分自身もがそれを見ないように、無かったかのように、さも平気なフリをして生きて行くようになりました。
当時の私にとって、
「強がること」が、唯一の生き延びていく方法だったのです。

20歳前後の頃、ふと母親との関係性を、友人に話したことがありました。
すると、
「それは自分の思い違いなんじゃない?」
「お母さんは、〇〇(私)のことを想って、なにか考えがあってそうしたに決まってるよ!」と返された言葉に、
息をするのを忘れるほどの大きな衝撃を受けたことを覚えています。

親御さんから愛をふんだんに注がれて育ってきた友人には、疑いようのない当然のことであったと思います。
しかし、その事実と、自分が異端な育ちをしていることにもまた、
言いようのない孤独感と絶望感を感じ、
「これは人に理解されないことなんだ」と、さらに口を固く閉じる決意をしたことを覚えています。

世間では、虐待なんていうことは、テレビのニュースの中のごくごく一部の出来事であり、自分たちの世界とは別次元の話。
「親には感謝しよう」
「親のことを悪く言うことはいけないことだ」という考えが、当然の時代でした。

それが今、「毒親」という世界観が認知され、
だいぶ自分自身の傷を癒やしやすくなった時代が来たなと、
ありがたく思っています。

毒親という言葉で、被害者として加害者を攻撃するだけに終わらず、
その傷を癒やし、自分の人生をあゆむ一歩を踏み出してほしいなと思います。

同じ傷を抱えた人たちへ。

読んでくれて、ありがとう。
「BREATH.」masako


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