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イリヤの空、UFOの夏

 割引で実質無料と聞いて加入していたkindleアンリミテッドの期限が月末に迫る中、何か読まないと損すると思い手に取ったこの作品に深く傷付けられた昨日、その傷の痛みは久方ぶりの涙を思い出しそして確かにあの日、そこにあった夏の日の思い出を感じさせました。

ということで「イリヤの空、UFOの夏」読み始めたら止まらなくて一瞬で読み終わったのが昨日の事です。結末はネットの片隅で視界に入ってしまって見て見ぬふりをしようと努力はせども薄々悟っていたので衝撃はそこまで受けないと思っていましたが、やはりあの結末は泣かずにはいられませんでした。
この作品、なんと20年前の作品だそうで、これは僕がまだオムツを履いてハイハイしてる時に世に出た作品ですね。読む前は「所詮古典だろ、セカイ系?どんなもんか確かめてやるよ」くらいの軽い気持ちで挑んだら一瞬の間にその世界観と著者秋山氏の文章に引き込まれて顔面ボコボコで痛みと感動の入り混じった泣き顔を晒す羽目になりました。

僕はヒロイン「だけが」死ぬ作品、嫌いなんですよね。死ぬなら主人公か、もしくは2人揃って死んでほしい。未だに女性に幻想を抱いているこの彼女いない歴=年齢の24歳童貞くんは世界よりただ1人の女の子の方に天秤を傾けて欲しいと切に願う青臭い少年魂を持っているのです。僕が「ギルティクラウン」で気に食わないのは2クール目以降の脚本の杜撰さではなく、いのりが死に集が生き残るラストですし、「汚翼のユースティア」のムカデ式シナリオ構造によるヒロインの格差や主人公のウジウジ悩むところよりやはりティアが命を捧げ死に、カイムだけが地上に降り、先の人生を一人で歩まないといけないその結末なのです。

2月も終わりに近付いてきました。この時期は冬がその終わりを耐え、延長戦を挑もうとしているような寒い日や、春の訪れを感じさせるかのような暑さの日もあり、着る服に少し悩む時期かと思います。季節というのは人を感傷に浸らせる効果でもあるんですかね、年を食い冷房の効いた部屋でテレビを見たんだかゲームをした時間より、どうしても河原で石切りをしたり、日に焼けながらスポーツに勤しんだ少年時代の方が鮮明に心に残っているのは何故なんですかね。

セカイ系って何なんですかね。「イリヤの空、UFOの夏」は「最終兵器彼女」「ほしのこえ」と並んで三大セカイ系作品なんて呼ばれているらしいです。いつかどこかで聞いた覚えがあるんですけど、日本人って3って数字が好きだか縁起だかが良いって話聞いたことがあるんですよね、~だから東京タワーは333mなんだよってオチのやつ、アレってホントなんですかね。
「イリヤの空、UFOの夏」にこんなに心動かされてしまったのは、最近日本SFの臨界点収録の「劇画・セカイ系」って作品を読んでしまったのも原因の一つなのかなと分析しています。この作品、ざっくり言うと世界を救うために戦いに行くヒロインを止められずそのまま成長した主人公が結局戻ってきたヒロインではなく今の自分にとって大切な人を選ぶという、えらくセカイ系に対して皮肉を効かせた作品なんですよね。結局「イリヤの空、UFOの夏」では伊里野は最終決戦で死んでしまい帰って来ることはありませんでした。もし、帰ってきたとしても長生き出来る身体であったとは思えませんし、2人はその後幸せに暮らしましたとはならないことを僕は予想してしまいます。「劇画・セカイ系」は結局戻ってきた彼女は再びボーイミーツガールを果たし新たな一歩を感じさせる幕引きだったので切なくとも悪い終わり方ではないです。ですがやはり、そうしたほろ苦く暗い結末より明るい大団円を欲してしまう自分がいて、やはりそれは現実が上手くいってないせいなのかなとか考えてしまい、またダメージを受けるというふざけたピタゴラスイッチ。

最近友達が誕生日祝いにご飯を奢ってくれたんですけど、どこか楽しめない自分がいて、それが本を読んでいる時間の方が楽しいからなのか、今の自分の現状に劣等感を抱いているせいなのか、または別の理由なのかとかよくわからないまま感情がグチャグチャになって、そのまま帰宅して「イリヤの空、UFOの夏」を読んで更にグチャグチャになってもう自分がアビスのなれはてになったような気分で床に就きました。アレ?何の報告だろう?ちょっとまとまりがなくなってきたので今日はこの辺で、またね。


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