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unravelあそび



 解体とか分解みたいな概念がおそらくは好き。
 扇風機やヒーターを分解して掃除するとか、多肉植物の木質化した根っこをどうにかいい感じに戻そうとするとか、『仕組みに触りながらいい方向にしようとする類の行為』が好き。調理における食材の加工も似たような位置にある。


 そことはちょっと違う流れだけど、思考を分解するのもまた、好き。これは好きというよりは没頭に近いのかもしれず。
 たとえば「人と密に接することがあまり好きではない」を分解すると、


どうして?→めんどくさいかな……→何がめんどくさい?→上手く話せなかったり、気を遣わせたり、気を遣うつもりが空回りしたり……→それは人と接することが好きなんじゃなくて、できないことに引け目を感じることが嫌ってことなんね
 みたいな感じ。「実際なにが嫌なん? なにがいい感じ? したいことは? したくないことは?」を突き詰めたい時にこういうことをする。


 何の話かといえば、「自己肯定感の話ダルいな……」ってこないだなって、なんでだろうね〜って分解したよという。
(分解、を英語辞典で引くとunravelってある。ラベルをunする。いい響きですね)


 いわゆる自己肯定感、だいぶ自己効力感的な扱いになってるのかな〜どうかな〜という。
 自己愛と自己肯定感と自己効力感と自尊心ってあるからこんがらがってしまう(自己効力感という言葉もつい先日知ったばかりだし……)。そして自分はなんだかんだ筋金入りの学習性無力感持ちなので、そうした話が苦手で持て余すことこの上なく。

 それでも最近わかったことは、「他者からの承認は自己肯定感と関係あるようであんま関係ない」「他者から承認されないからといって自己肯定感が下がるとか欠けるではない(されたからといって必ずしも上がるわけでもない)」「失望されても思った以上に死なない」
 あたりのことで、そこからまた
「ってことは承認を求めるのも遠回りだな……」「そもそも言うほど承認……ほしいか……?」「ほしくないわけじゃないけど、なんでああまでほしかったんだ……?」
 とグルグルしているところ。結局己が納得したいだけというのはわかりきっている以上、言うほど他者のあれそれを巻き込む? 動員する? 拝借する? いわれも……ないかなって……。

 それでも別に孤独がいいとかそういうんじゃなく、少なくとも自分にとっては、繋がり? みたいなのを求めたり保ったりする方が難易度が高めというやつ。
 できないことや無いものを数えたらキリがないので(それやり始めたら落ち込んでるサインでもあるし)、明日も今週も来月もなんとか生き延びれたらもう御の字かなのスタンス。日々やっていく上で目の前にぶら下げる人参くらいはほしいけども、まあ……。

(そういえばこのへんの、分解とかじゃなくて分析っていうやつですか。語彙の無さがよくわかる……)

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