頑張ろうとするところから始めるなかれ
自分に何度でも言い聞かせるためのタイトルです。
頑張ることが苦手、どころか「ちゃんと頑張るくらいなら死ぬ」と思って憚らないレベルの当方です。
「ちゃんと頑張ったところでどうにもならないんだし」と学習性なんちゃらが骨身に沁みていた自分が、頑張るということのリソース配分についてちょっと考えて、だいぶ気が楽になった回。です。
・頑張るポイントがズレている
という旨のお叱りを受けることがそれはもうかなり定期的にあり、そのお叱りを受けようものなら頑張りメンタルは当然全損。
どうにか立て直したところで、それでも元のように頑張るのも馬鹿らしいししんどい。
でも頑張らないわけにはいかないし、それはそれとしてどうしたらいいかわからない。
結果として、またも闇雲に頑張ってしまう。そして同じお叱りを受ける。というループにも飽きてきた頃でした。
努力は報われて然るべきだけど、頭を使わない練習は嘘をつくし、頭を使うったってそのためにそもそも頑張らないといけないわけじゃん。というドツボの視野狭窄。
そもそも頑張れる持久力やパフォーマンスにも個人差があり、どうあれ有限なのに、「頑張らなければいけないことばかり増えていく」感じがしてそのまま生活イヤイヤ期に入る。
そんでもって、ここ最近の雨続きなのか気圧なのかでとにかくずっと頭がすっきりしないor痛いの繰り返し。
「頑張るためのリソースがとことん無い」の数日間が続いたある日、ふと気が付いてしまった。
「頑張ろうとすることにすらリソースを割いている」と。
ガス欠エブリデイなのはそりゃそうよ、と。
・頑張ろうとすること、頑張ること
いわゆる「頑張らなくていい」的な言説はあちこちで見るし、まあ真理だし、そうできたらイイネーくらいの半笑いでスルーしていた概念ではあるけれど。
もしかして、肝要なのは「頑張らないこと」ではなく、「頑張ろうとしないこと」かもしれない……と思い立ったのでした。
形から入るどころか「態度から入る」みたいなことを、もしかして律儀に逐一ずっとやってきたんか??? と唖然とするこの頃。
事実、たしかに、「頑張ろうとすること」まで頑張って、その時点でリソース尽きて、実際ロクに頑張れなくて、そうして追い込まれて嫌になって頑張らなくなる。
けどたまにはちゃんとしないとな〜って起き上がって、「手始めに」頑張ろうとするところから始める。以下同文。みたいなループをやりがちすぎる半生。
有り体に言えば「やる気を出そうとする」ところから始めようとしていたし、そこにすらリソースを割いていたという。
何もかも嫌になった時はだいたい「頑張るところからすら頑張ってんのになあ?!」というヤバメンタル真っ只中だし、つまり「そんだけ頑張ってきてるのにこのザマは何?! なぜ逆に追い込まれる?! 報われるなんざ思っていないけどそれにしてもだ!!」みたいな自滅に至るのだけど、そうした追い込まれ自滅をしないためにはまずどうすればいいか……を考えたという話。
まず第一に「頑張ってんのにな??」と思うような頑張り方をしない、に尽きる。
「頑張る割には報われないどころか無為だな??」となる瞬間がいっちばんキツいので。まずはそのキツさを回避しようという試み。
リソースはとにもかくにも有限。有限のくせにリソース配分が下手くそというオチ。おつらい。
でも笑い話といえば笑い話。「頑張ろうとすることにリソースを割かずに」「とりあえずやる気なく頑張る」くらいの方がずっと楽かもしれんし省エネじゃん、という身も蓋もないところに辿り着いてしまったという。
「頑張るためにこそ楽をする」というの、言葉にするとまったく道理なのに、フィーリングや納得のレベルに至るまでが、長い。
「やる気を出すところから始めなくていい」
「メンタルをアゲようとしなくていい」
「ポーズを取るところまで逐一ちゃんとしようとしなくてもいい」
というの、大発見でした。いや知らんしそんなん…………。
・自分の起源は自分で取る
機嫌の変換ついでに出てきた言葉が的を射ている気がしなくもない。
「メンタルをアゲようとする」
「ポーズを取ろうとするところまでちゃんとしようとする」
このあたりがなんだかんだ自分に染み付いているのは、たぶん「自分の機嫌は自分で取る」的なおなじみの言説を拡大運用してきてしまった成れの果て、という趣きがある。
「自分の(中略)取る」が、何故かいつしか「いつも機嫌よくいること」にスライドしてしまって、「機嫌よさそうな外面」にまでリソース配分してきたというか。
「自分の機嫌」ではなくて、「外から見える」自分の機嫌、にリソースを回してきてしまった感じ。不健康。
形から入るどころか態度や姿勢から入って、「外面という足場を固めてから」やろうとしてきたというか。言葉にすると笑い話なんだけど、それを足場だと思っていたのは本当っぽいので。
言葉にできた今だからこそ、それを解体しても怖くはないけれど。
「頑張ろうとするメンタル」をまず仕上げて、その上で実際に頑張ろうとする。みたいな二度手間をよくもまあやってきた(むしろそんなだからやれてこなかったとも言う)と我ながら感心するけれど。
今にして思えば、実際に頑張っても全然なんともならないこともあれば、頑張らず力まず労せずスルッと事がうまく運ぶこともあるわけで、「自らの頑張りが自らの運命? を動かしている」とか思わん方がいいですね、という。
当たり前体操かもだけど、気が付くと陥りがちなやつ。
なんだかこういうの、端からは「完璧主義」カテゴリに入れられがちだけれど、少なくとも自分が完璧主義なわけはなく(頑張るくらいなら死ぬの心意気)。
ただ、いわゆる完璧主義がガチガチなのは、「完璧にやろうとしているから」のみならず、「気負わなくていいポイント自体を知らないから」みたいなところ、あると思いました。
そのあたりのリソース配分とかいろいろ、当人が納得できるやり方が見つかるのが一番いいのだけれど、ガチガチになっている時点で間違いなく「頑張りすぎている」ということだけは断言できてしまう。
こういう失敗談が参考になれば幸いですが、しかし果たして……。皆々様、まずはおいしいものでも飲んで、ゆっくりお過ごしください。
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