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アイ・アム・ヒアの無限リピート


「やりたいことに歳は関係ない」という至言がある。その通り。やりたいのなら、遅すぎることはない。道はたかだか歳ごときに閉ざされてなどいない。
 なのに自分がこの言葉にスーンとなってしまうのは、「それでも歳によって熱量や熱意は褪せたりするし、宛先もなくなったりするし、下手したら宛先そのものを見つけられなかったりすることもあるじゃん」という気持ちになるからです。


 だいたい落ち込む時は「人よりずっと周回遅れでいる」という焦燥感とセットだけれど、この頃は「周回どころかスタートラインどころかそもそもコースに入ってすらいないのでは?」という気持ちにもなったりして、でもここまでくると落ち込みよりも「そうやね……」という納得の方が強くなる。


「もう少し昔に、何かきちんと作って残しておくべきだったのではないか」という気持ちと「いや、その当時にそんな熱意があったか?」という気持ちと「じゃあ今その熱意はあるか?」という気持ちと。あとは、「いずれにしたってそういうことを考えること自体がもはや詮無いね」という気持ち。諦めといえばそれもそう。


 書くことを至上としていた時期があった。それは言い換えれば「書けなければいけない」ということで、そういうコンスタントさみたいなものはもとより自分には厳しいことだった。もとより厳しいのに、書けないことへの焦りだけは強くなった。
 筋トレとかのように継続してやっていけばそうした力はついたにしても、そうまでして書く根気や熱意や衝動はなかった。
 思いついた時、その幻覚がはっきりと見えた時、表したいと思った時、にしか結局ものを書けなかった。書きたくなかったともいう。選り好みの趣味だった。今となってはそれでよかった、と思えるにしても。


 力のある作品や作者や作風を羨む気持ちがないわけではないけれど、それなら「まっとうに書いていけるように」努力していけばいいだけの話であり、しかしその努力をしたくなった——というのが最終的な結論だった。なので、あまりにも残当で面白みのない回顧になる。

 何の話でnoteを書いているんだっけか。ともあれ、「まあとりあえずそれでもいいよ」と自分で自分を良しとするみたいな話。「大切に持っていきたい荷物だったかもしれないけど、持っていることで大切にできなくなるならとりあえず今は脇に置けよ」みたいな話。


 外部への証明も、外部からの賞賛も、必要なようでそうでもなかった。「自分の輪郭や実体を掴むために必要だと思っていた」けれど、そういう方向で必要とするには無理があった、と言う方が近い。
 それはどんどん内へと閉じていくことと同義かもしれなくても、ともあれ「自分が納得できるかどうか」が鍵というか、納得できていないくせにもがいたところで苦しむだけよな。という話。納得した上でもがいた方がまだやりようもある。


 ここで言う「納得」は完全に自分のために用意しないといけなくて、今できるやり方は「そんでもここにいるぞ」とこうやって書き留めたり言語化したりすること。それをこうして残せば、少なくとも撤回はできないので。
 読んでいただくにはちょっとなんとも独善が過ぎるけれど、「読める体裁にしてまで"ここにいるぞやっているぞ"と主張しなおかつ残すその必死さ」自体はとりあえず自らには否応なく叩き込めるのではないかな……。


 何もしていなくても、残していなくても、熱意が薄くても、熱量が褪せても、気まぐれでも、怠惰でも、結局無様でも、「そんでもここにいる」を覆すことは、たとえ自分自身にだってできない。
 なのでそこから、「できそうなことをやりたい範囲でやる」を細々としていけば、ある程度の納得に到れる……のでは……ないかな……と。要検証。


 ざっくり言うなら、「賞賛を求めていたからこそやっきになってやっていた証明」自体をセルフサービスでやっていかなければならない。己の弱さを逆手に取るというかなんというか。
 結果を残したから、できたから、やれたから、を最低条件にしない生活。そのへんの保証のために賞賛を求めるみたいなのだってそもそもが不健康なので、単純に止した方がよかったよね。
 これはたぶん完璧主義とかじゃなくて(怠惰な自分が完璧主義なわけもあるまい!?)、「やれなければそこにいちゃいけなかっただろう?」という感情によるもので、「いや〜、そういうの疲れたなら条件つけるのやめちまおうぜ」というのが現状のアンサーといったところなんでしょうか。


 どうせ身軽でいたいのだから、削げるとこは削いで、気になったら拾い直す。くらいのラフさでええのんかもしかして? 要検証です。
 このへんの右往左往や七転八倒を、未来の自分が笑い飛ばせたらよっぽど御の字。振り返りの材料になるならそれはそれ。書き留めておいて、たぶん損はない。得になるならもっといい。それはこの先の自分にしかわからないので、明日の自分に任せた。生活を未来を胡乱に頑張ろうね。

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