見出し画像

理由を強迫にすり替えないために



 タイトルに則って今回はふたつ。


①承認や肯定は、苦しい時にする息継ぎの類ではない
(危急存亡をどうにかするほどの効果があるもの、として扱わない方がいい)

②お洒落は過程かもしれないし結果かもしれない。そこは個々人の采配や目的による
(理由の有無問わず好きにやれという話)

自分用備忘録ですがこのへんの話をします。




①承認や肯定をよすがにしすぎるな

 と言われても、これに納得できるまでにメチャ時間がかかった。しかも理屈で納得してはいけない部分だし。
 それでもやっぱり、本当に、自身の創作(ならびに解釈的なやつ)に対して承認や肯定を求めてったらそら気も狂うわけです。
(気が狂わない人もたぶんいるし、あるいは順当にor紆余曲折して肯定や承認を得られるケースもある)

 書いたものとかに対するリアクションの類を、生きる上での承認とかあるいは苦しいさなかの息継ぎ的なものにしちゃいかんよねっていうのをようやく、ようやく思えた。そもそも……社会をやる気がない輩が、肯定や承認その他っていうわりと他者ありきのものを求めるの、普通に無理があった。

 逆に、なんでそうまでして肯定や承認に躍起になっていたんだろうかと……昨日までの自分に聞きたいけどもう漠としてしまってわからない……。
「自分には書くことしかない」と思っていた(今でもまあ思ってる)のは本当だし、いや実際に書くことしかないけど、それしかないと思いすぎているならば、そこへの肯定ないし承認をよすがとして欲するのはまあ残当……?

「もっとすげえ供給や思い入れができるほかの人たち」の方が「優れている」ように感じたり、そこからなおさら「自分ではやっぱアカンのだな」という気持ちを深めたり、まあ……不健康でしたが……

 でもやっぱり「そうしたものを得られなくても死なない」っていうのも真という……得られないのは寂しい、のはあるかもしれないけれど、今となってはそのへんも怪しい。寂しいか? ほんとに?
 肯定等を諦めても(得られなくてもor得ようとしなくてもorそんな必死にならんでも)死なない。ってなぜ今思えるのかはわからないけど(突然そう思えるようになったので)(不健康の底を割ったゆえかもしれないけど)、とりあえず自分自身が承認や肯定の類を救命具のように思いすぎていたのは本当。そこまでの重めな意味づけをしては……ならない……たぶん……



②装身する意味とは


↑これが千差万別である、と気が付いたのも同じ頃。
 髪を染めたり欲しい香水を買ったり、素敵なブレスレット を購入したりといろいろこの頃あったけれど、「別にお洒落に興味が出てきて」やったわけではなく、もとより「何か理由や志向があってお洒落をした」と思われるのがド心外だった過去を思い出したりもして。
 理由自体が欲しくなかった、というのはとてもあった。これは少なくない女性が通ってきたであろう「色気付く云々と言われて嫌になった」の亜種っぽい。

メイクやいい感じの服やアクセサリーが、武装になる人もいればお守りになる人もいて、てんあげになる人もいて、どれも個々人にとっての真。
 お洒落のためにする人もいれば、自分みたいに「そういう理由がつくこと自体がめんどくさい」側もいるってだけなのかもしれなくて、たとえばそのお洒落だって「きれいになるため」かもだし「自分のため」かもだし、ひたすら個々人の理由や信条に基づいているだけなのかもしれない。

「きれいに・かわいく・かっこよく・素敵に・最高に」、志向するいずれかに「なりたい」が根幹だろうと思いつつ、ただ自分にとっては「なりたい」ではなく「やってみたかったからやった」「いいと思ったから手を出した」だけど。
 そうした「やってみたい」に端を発するのもものすごくプリミティブだしあるあるだと思う。自分がそこに至るまでにずっとずっと時間がかかっただけで。


 志向するということに自分が苦手意識があるのは、「志向したそれにならなければならない」に知らず知らずすり替わるからなんだけど(つまり変な強迫がつきがち)、そうならなくたって死なない、ということもまた自分は見落としがち。
「最高であるに越したことはないけど、最高じゃなくてもたぶん大丈夫で、だったらすごい人たちを疎まなくてもいいし、すごくなれない己を嫌になることもない」みたいなやつです。

 あと、服やメイクが武装の役割をするのは本当でも、「武装以外の用途でやれた方が気分が軽い」のもある。何かのためっていうのが自分にはどうにも重くなる、というそれだけの話……
 髪を染めたり欲しかった香水を買ったり素敵なブレスレット買ったりできたのも、「自分がいいと思ったものを身につける行為は"お洒落のため"ではなくただ自分がいいと思ったからである」と着地したからだし(お洒落のため等理由があることに難癖をつけたいわけじゃないので念のため……)
「強迫(言い換えれば自縛)がない」ことの身軽さ、なるべくどんどん習得していきたい。


……これらの話は根っこがたぶん一緒で、「生きることに対して逐一死にそうにならなくていい」という話に着地するものと思われる。
 死なないために殺されないために(何から? っていうともういろいろ形がない色々)立ち止まらないよう生きてきたのは本当なんだけど、そもそも論、その強迫自体にもはや死にそうになっていた説もある。

 立ち止まれない、立ち止まるとダメになる、そこで立ち止まってしまったらどうなる(というのがわからないのが怖いのでもはや引くに引けない)、をなんだかんだずっとやってきて、若干具合が悪くなった今だからこそ、このnoteに着地するのかもしれない。
 この感慨を忘れた時に、これを読み返して思い出せるといいんだけどなー。未来の自分、ほどほどに頑張ってほしい。


(買った香水ってなんの話?)
(CLEAN CLASSIC ULTIMATE です)
https://www.latelierdesparfums.jp/ultimate-edp-spray-new-30ml






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?