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意識的な、ディスタンス

先月の電気代の請求が届き、驚いた。先々月に比べて、約半分もの金額になっていたのだ。なぜだ。先月といえば、自粛生活を強いられ、買い物以外は1か月まるまる家にいたはずだが……

おそらく、テレビを見なくなったことと、夜はベットサイドのライトだけを灯すようにしたことが大きいように感じる。

テレビは意識的に見なくなった。関係ないが、私のワンルームのテレビには録画機能がついていない。そのため、見たい番組があれば、リアルタイムでみなければならないという、昔ながらの"あの番組が始まるまでに風呂に入らねば"というドキドキ感を味わえる。しかし、数か月前から"なんとなく一緒にいるだけ"の関係となっていた。なんとなく朝は情報を得るためにつけておこう、とか、心もとないからつけておこう、なんて。そんななんとなくの関係でも、繰り返されるニュースやあまり心地よくないものは、頭には残る。

それに気づいたとき、私はテレビを消した。

そうすると、時間と電気代が浮いた、というわけだ。

決して、テレビを否定しているわけではない。昔から、テレビっ子で、"歩くテレビ欄"とまで言われた私である。ただ、毎日目にするもの、耳にするもの、そういうものを"なんとなく摂取する"ことに抵抗を覚えるようになった。それだけのことである。今だって、朝ドラと、日曜アニメ、某日テレバラエティなどは見る。でも、それは"見たい"と思ってみている。"なんとなくみる"をやめたという話。

テレビも、人も、何にでも、適度な距離感というものがあるらしい。その距離感は、時と人と環境によって変化するものだ。

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