写真ルサンチマン

写真をかれこれ20年くらいやってます。写真と言えば、ルサンチマンですよね。(誤り)
「写真と言えば、ルサンチマンですよね!」とか言うと、誇り高きフォトグラファーを自称する、主にSNSのプロフィールに「楽しい撮影を心掛け」ていて、かつ若い女性を対象としたポートレートを撮りたがる、カメラを構えたり、カメラを持った自分をアイコンにしてる人達に怒られちゃうかもしれないので、あまりそんな事を言わない方が良いんじゃないかな?と思う今日この頃ですが、いかがおすごしでしょうか?

あれかな?誇り高き自称フォトグラファーの人で中学生女子に声をかけて、連れ出して写真を撮ったりしている人とかいたけど、彼らは夜にヒッチハイクしている制服を着た高校生女子とか車に乗せたりするのかな?
凄いよね。21世紀のリテラシーて、そんなもんなんですかね?
もしそうなら、それが21世紀のリテラシーなら、フォトグラファーを自称して若い女性を対象に写真を撮りたがるのも納得できちゃいます。(関係ない)

さて、写真におけるルサンチマンと言えば、例えば「あいつの写真の何が良いのか」とか「オレの写真の良さが分からない大衆の見る目がないんだ」てヤツですよ。
もっと言うと、SNSですよ。イイネの数です。あれを数えて評価されちゃったりすると、ルサンチマンになりがちですよね。(ですよね、ではない)

90年代前半、私が中学生の頃ですが、みんな音楽チャートに夢中だったと思います。「今週のNo.1はー?」のあの煽りです。あの音楽チャートに上がってくる曲をこぞって聴き、CDを買う、レンタルをする、カラオケで歌う、などしていたと思います。
私も音楽チャートを見てました。今週の1位は誰だろう?と思っていました。ただ、1位だからその曲が良い、と言う風には考えてなかったです。
むしろ20位くらいの曲が好きでした。良い感じですよね、20位。まぁまぁ「売れてる」て感じして。
今思うと、20位でもだいぶ『売れてる』とおもうんですけどね。
ただ、20位くらいの曲よりもチャートに入って来ない曲の方が好きでした。なんせ、チャートに入ってこないから雑誌で記事を読んで文章からその曲を想像し、CDを探しに行くわけですよ。レンタルにあればラッキーです。

ただ、中学生なので音楽にそこまでお金を使えるわけでもなく、だけど音楽は楽しみたいわけです。しかし、音楽チャート20位くらいの曲よりももっと自分が好む音楽を探すと、古い曲が好きだと気づくわけです。ありがちですよね。私はYMOが好きでした。同級生の誰もYMOを知ってる人なんていないので、一人で聴いてました。レンタルでも聴けるし。

一人でYMOを聴いてる時によく言われたのが、「売れてないじゃん」でした。そりゃ、音楽チャートに出てこねぇよ。1983年に散開してるんだぜ?アルファ商法だぜ?ただ、オレは好きで聴いてるんだよ。マッドピエロとか。

写真を始めたのが高校の終わり頃なんですが、その頃は沖縄で写真を趣味としている人はあまりいなかったと思います。写真の何が楽しいの?と。
私からするとYMOと同じくらい楽しいのですけども、YMOの良さを知らないヤツに写真の楽しさを伝えるのも面倒なので、やはり一人で写真をやってました。当時の私はテクノカットでしたし。それが10年くらい。写真は一人で出来るのが良いですよね。
ところでテクノカットの考案者はヴィダル・サスーンなんですよ?

そして今や写真の趣味は一般化されていますね。90年代における写真のカルチャーはいわゆる『サブカル』だった認識です。写真といえばエロ本、みたいな。「いや、エロ本以外の写真が面白いんだ!確かにエロ本っぽいけども!」と言い訳がましく聞こえる事をいいながらも、写真に憧れて、写真家達の作品を意味も分からず見ていたのが90年代だったと思います。
それを引きずっている人達がいまだに「エロくない写真」とか「オシャレなヌード」とか言ってますね。ネイキッドとか言わないんですよ。ネイキッドとか言うと、バイクの話だと思うんじゃないですかね?
※カウルが付いていないバイクの事をネイキッドと言います。

ところで「オシャレなヌード」て、smartて雑誌に連載されてたヌード写真のページのコピーが最初だと思うのですけど、「オシャレな」て言って、ファッション誌に載せてりゃ『オシャレ』になったんでしょうね。
いや、私も毎号見てましたけども。
その言葉が21世紀でも使われていることから、優秀なコピーライティングだったのだと思います。「オシャレなヌード」て言って食いつく人とかいるわけですから。「あー、エロじゃなくオシャレね」みたいな。
合コンを飲み会、て言うようなもんですね。「出会いが欲しいわけじゃなくて、みんなと飲みたいからー」みたいな。
自称フォトグラファーの人たちが良く使いそうな言葉ですよね。
あと、「アート」て言葉も意味も分からず使ってそうですよね。


『おしゃれなヌード』で、『ストロベリーセックス』て。
ストロベリーセックス、て何?みたいな問いは不用なんですよ。語呂合わせみたいなもんじゃないでしょうか。
バレンタインデーキッス、よりも遥かに意味が分かりません。


おそらく、『ちんかめ』の後だったと思うのですが、『タオラー』と言う写真コーナーもありました。
フォトグラファーのレイク・タホ、はデザイナー、スタイリストの熊谷隆志さん。

さて、今や誰もがカメラを持ち、写真を撮ります。もはや趣味としても一般化され『上手い写真』なんてものが重宝され、高級カメラを持つ人は誰でも『フォトグラファー』です。

誰でも『フォトグラファー』なので『売れているフォトグラファー』も様々です。イイネが多いフォトグラファー、展覧会に人がいっぱい集まるフォトグラファー、雑誌に名前が載るフォトグラファー、色んな『売れてる』があり、それぞれの『売れてる』写真をこぞって見に行っている気がします。

一方で『売れていない』写真家の写真は興味がないように見受けられます。
ハイ!ハイ出ました!ルサンチマン!!ここでようやく出ましたね!ルサンチマンです!長かったですね!この長さこそ、ルサンチマン!
そうだよね!ルサンチマンはこうじゃなきゃね!
何回ルサンチマンて言うの?てくらいのしつこさです!
「僕はルサンチマン、君は何ンチマン?」とか言われないか心配になっちゃうくらいにルサンチマンですよ。

冗談はさておき、何かしら『売れて』ないと写真に価値がないと思っているのかも知れない人が多数いると思うんですよね。言い換えれば皆が良いと言っているから、良い写真だと思う、とか。または、自分のセンスをめちゃくちゃ信じてる人とか。
写真て簡単に撮れちゃうけど、何か奥深いよね。くらいの事を考えてらっしゃると思うので『売れてる』人の写真に奥深さを感じていらっしゃるのかも知れないですが、それを雰囲気でごまかしちゃってる気がします。
写真における雰囲気=センス、みたいな。それが最もセンスが感じられないのですけども。

90年代後半あたりでしょうか、打ち込みの音楽、楽器を使わずに演奏できる音楽が音楽チャートに載らない音楽としてありました。(チャートに上がっているものもあったと思いますが、少なかったです。)
YMOが好きだった私からすると、大好物なわけですよ。テクノとテクノポップの区別もついていなかったので、全てがテクノに聴こえました。
若い女性がピコピコ音で歌う曲を見つけてはテクノ!テクノアイドル!等と騒いだりもしました。
※当時『テクノドライブ』てゲームがあって、テクノ、て付けとけばカッコイイ気がしてました。

全てがテクノに聴こえてたけども、いろいろと聞くうちにテクノとテクノポップの違いが分かるようになりました。「どうやら自分がテクノと読んでいたものはテクノポップらしい」とか「テクノは修行だな」とか。
そうやって、テクノとテクノポップの違いが分かったように、写真も「『ちんかめ』すげー!」から「なんだかんだ、篠山紀信だと思うんだよね。彼こそ写真」みたいな、こいつ何言ってんだ?て思われそうな事を考えるようになりました。篠山紀信なんて大御所も大御所ですけど、みんな彼の写真を見た事ある?と聞きたいですよ。いわゆるグラビアではなく、作品ですよ?一冊でも本持ってる?とか。篠山紀信がイイネの数を数えてるの?とか。

写真を雰囲気で見るのも良いと思います。ただ、インターネットの世の中ですよ。写真のコラムの一つも読むと雰囲気じゃない写真について書かれています。イイネの数なんて気にせず、写真の見かたをまずは知っていただきたいのですよ。写真の見かたて何?て思うでしょ?それは、写真にまつわるコラムから学びましょう。かつて、雑誌の記事から音楽を想像したヤツだっているんです。コラムには写真が添えられていたり、ご自身で検索することもできると思うのです。まずは、写真を見よう。そして、雰囲気じゃない写真を知って欲しいと願うばかりです。
『カレーは飲み物』という格言があるように『写真は読む物』です。写真が『読めて』こその鑑賞者でありフォトグラファーだと思います。

改めて写真を見て見ましょう。例えば、私の写真とか。

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