アナログ派の愉しみ/音楽◎『これが青春だ』

やみくもな情熱と
胸の疼きが


かつて、「青春」というものがあった。いまだってあるかもしれないけれど、ふわっとした曖昧なイメージではなく、もっとはっきり目に見え、耳に聞こえる形でどんと存在していたのである。かつてと記したが、それは具体的には1965年から約10年間、すなわち昭和40年代の出来事だった。

 
わたしの手元には、『青春ドラマシリーズ ソングブック これが青春だ』と題したCDがある。ここに収められているのは、昭和40年(1965年)~48年(1973年)に日本テレビが放映した『青春とはなんだ』『これが青春だ』『でっかい青春』『進め!青春』『炎の青春』『おれは男だ!』『飛び出せ!青春』『おこれ!男だ』の、シリーズ計8作からの主題歌・挿入歌だ。いかにも汗臭いタイトルのオンパレードで、こうしたテイストが苦手なひとは唾棄するだろうが、それをたっぷり味わった者にとっては還暦を過ぎたいまでもかけがえのない宝物で、これらの歌をかければ、たちまち「青春」のやみくもな情熱や胸の疼きと取り戻すことができる。

 
ドラマの内容を詳しく紹介するまでもない。いずれも似たり寄ったりで、舞台はどこかの地方都市の高校と決まっている。そこに若い熱血教師が赴任してきて、サッカー部かラグビー部の顧問をつとめることになり、できそこないの男子どもが集まって、はじめはてんでんばらばらだったのが、やがて熱い友情で結ばれて勝利をめざしていく。はるかな夕陽を指差したりして。そんなかれらをマドンナ女教師や女生徒が取り巻き、いっしょになって輝かしい「青春」を謳歌するという寸法だ。

 
こうしたベタなドラマが日曜夜のゴールデンタイムに登場したのは他でもない、戦後のベビーブームで誕生した「団塊の世代」とそれに続く世代が、ちょうどこの時期に高校へ進学するタイミングとなったからだ。空前の人口規模ばかりでなく、高度経済成長のもとで高校進学率がこのころ男女とも70%を突破して、いまや義務教育に近い位置づけにもなっていた。つまり、こういうことだろう。ついこのあいだまでは子ども時代が終了して、労働に従事したり、家庭を持ったりするのが当たり前だった年齢に達しても、もはやそうした社会参加は求められず、高校という場でさらに3年間の「モラトリアム」を過ごせるようになった。では、そこにどのような人生の価値を見出したらいいのか? そのひとつの答えとして、ことさら「青春」の感動の物語が必要とされたのだろう。

 
日本テレビのプロデューサーだった岡田晋吉は回想記『青春ドラマ夢伝説』(2003年)のなかで、最初の『青春とはなんだ』の制作現場の雰囲気をこんなふうに伝えている。「今振り返っても、よくもあんなに形振りかまわず仕事に熱中していたものだと、自分でもあきれる。この作品の中で高校生たちがおくっている “青春” を私自身も体験し、第二の青春を楽しんでいたのだ。私ばかりではない。この時、監督始め、スタッフも、キャストも全員、それぞれの “青春” を味わっていたのだ」。なるほど、視聴者の若者たちのみならず、番組関係者のすべてがこのとき新たな「青春」をわがものとしていたらしい。

 
ところで、「団塊の世代」からひと回り下のわたしはこうした青春ドラマと、日本テレビが平日の夕方に繰り返し流していた再放送で出会ったクチだ。そのなかで最も懐かしいのはシリーズ初のカラー作品『進め!青春』である。上記の岡田の回想記によれば、スタッフのチームワークがよくて期待されたものの、スタート時にメキシコ・オリンピックの放送と重なったために結果が出せなかった不運のドラマというが、ナポレオンというあだ名の熱血教師に扮した浜畑賢吉の間抜けぶりが可笑しいうえ、わがアイドルだった岡田可愛もまぶしくて、ずっぽりハマった。岩谷時子作詞・いずみたく作曲で、浜畑自身がうたった主題歌もしょっちゅう口ずさんだものだ。

 
 進め青春! 火のように
 進め青春! どこまでも

 
だから、のちにこの出だしとそっくりのメロディがドヴォルザークの『交響曲第8番』の第3楽章に現れるのを、初めて耳にしたときはのけぞった。むろん、ただの「空耳」のたぐいとはわかっているのだが、パブロフの犬さながらの条件反射が働いてしまう。以来、その演奏個所がやってくるたびに、頭のなかに歌詞のフレーズが溢れ、あの「青春」の日々の気分がよみがえってくるのをどうすることもできない……。
 


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