アナログ派の愉しみ/音楽◎ビゼー作曲『アルルの女』

愛と同じく細菌の仕業か――
アルルの地が男を狂気へいざなうとき


大学の同級生にフルート吹きの友人がいた。ある初夏の夕方、授業が終わったあとの教室でおもむろに銀製の楽器を取り出すと、『アルルの女』のメヌエットを演奏してくれた。わたしにとってフルートの生の音は初体験で、その光沢を撒き散らしながら天上へ舞い上がっていく響きに息を呑んだものだ。

 
1872年に34歳のジョルジュ・ビゼーが作曲した『アルルの女』は、ドーデの短篇小説をもとにした舞台劇のための全27曲からなる。しかし、当時の劇場の制約で少人数のオーケストラ向けにまとめなければならなかったことに不満だったかれは、のちに大編成用に4曲を選んで再構成し、これが第1組曲となった。ビゼーの死後、友人ギローがさらに4曲を選んだのが第2組曲で、そのなかのハープの伴奏にのってフルートが演奏する前記のメヌエットはとくに有名だが、実はこの曲だけほかの作品から転用されたものだ。

 
ストーリーはこんなあらまし。農家の息子フレデリは、アルルの闘牛場で見かけた女にひと目惚れし、恋心を募らせる。いったんは諦めて婚約者とヨリを戻すものの、結婚式の当日、祝いの喧騒のなかでついに正気を失って身投げしてしまう。ただし、劇中にアルルの女は登場しないばかりか、名前も素性も明らかにされない幻の存在で、一体、フレデリはどうしてそこまで思いつめたのか謎のままに……。そうした陰惨な内容のせいか、初演の舞台は失敗に終わったと伝えられている。

 
それから16年後の1888年2月、34歳のフィンセント・ヴァン・ゴッホがアルルへやってきた。そのときの感激を、友人ベルナール宛ての手紙にこう綴っている。「まず、この地方が空気の透明さと明るい色彩の効果のため僕には日本のように美しく見えるということから始めたい。水が風景のなかで美しいエメラルド色と豊かな青の色斑をなして、まるで日本版画(クレボン)のなかで見るのと同じような感じだ」(二見史郎編訳)――。

 
ゴッホは連日、炎天下に出かけてはエネルギッシュに絵筆をふるい、『アルルの跳ね橋』や『ひまわり』などの傑作のほか、カフェの女主人を題材にして『アルルの女』のシリーズも描いた。が、次第に精神に変調をきたし、その年の年末には、自分の耳を切り落として病院に収容されることに。やがて小康状態を取り戻してから、妹ヴィル宛てにこんなふうに書き送っている。「僕はすべてを単なる事故とみなしている。むろん、僕の落ち度は大きい。ときどき僕はふさぎ込んだり、はげしい悔悟の念にかられたりする。でも、どうだろう、そのために全く意気粗相したり、憂鬱(スプリーン)に陥ったりするとき、悔恨と言い、落ち度と言っても、それは愛と同じく細菌の仕業かもしれない、と僕はまさしく遠慮なしに言うよ」―-。

 
ずいぶんと奇矯な言い草に聞こえるけれど、傍からはとうてい窺い知れない、狂気に駆られた当事者にとってのぎりぎりの真相なのだろう。同じアルルの地で青年フレデリが幻の女への愛のあまり自滅していったのも、ゴッホの言うこの「細菌の仕業」だったのか。

 
『アルルの女』の録音では、南フランスのまばゆさがきらめくクリュイタンス指揮パリ音楽院管弦楽団、そのまばゆさに秘められた狂気を凝視するケーゲル指揮ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団、あるいは清冽なたたずまいにゴッホの目に映ったジャポニズムの白昼夢を滲ませたような小澤征爾指揮フランス国立管弦楽団の3種のCDを、わたしは好んで聴く。なお、フルート吹きの友人は大手企業の仕事を定年まで全うするかたわら、アマチュアのオーケストラで演奏を続け、60代なかばを過ぎた現在もステージで活躍中だ。


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