アナログ派の愉しみ/映画◎チェン・カイコー監督『覇王別姫』

すべての人間は
歴史の素材に過ぎない


チェン・カイコー監督の原題では『覇王別姫』(1993年)を観るたびに、いやはや、かなわないなあ、と感心するより先に呆れ返ってしまう。一体、中国の人々はどのような時間の流れを生きているのだろうか?

 
物語のはじまりは1920年代、貧しい女郎が育てられない幼い息子を北京の京劇一座に託そうとして、座主から片手の指が6本あるのを理由に断られると、すぐさま余計な1本を包丁で斬り落として置き去りにする。やがてその少年は過酷な調教を乗り越えて、女形としてトップスターの程蝶衣(レスリー・チャン)となり、兄弟子の段小楼(チャン・フォンイー)とのコンビで『覇王別姫』を演じて空前の大成功を収め、それにつれて蝶衣は相手に対し同性愛の思慕を抱く一方で、小楼のほうは高級娼婦の菊仙(コン・リー)と結婚する。だが、ときあたかも中国大陸には軍靴の轟きが入り乱れ、日本軍の侵攻・占領と敗退、国民党軍のあとを襲って人民解放軍の北京入場による共産党政権の樹立、さらには文化大革命・四人組の支配と、やむことのない時代の荒れ狂う波濤に翻弄されながら、ふたりは50年あまりの歳月を生きていく……。

 
最大の主役は、どっしりとのさばっている化け物のような「歴史」だろう。そうした感覚は、この映画の邦題に『さらば、わが愛』といった冠をかぶせてしまう日本人の、およそ理解の外にあるものに違いない。

 
 項王の軍、垓下(がいか)に壁(へき)す。兵少く食尽く。漢の軍及び諸侯の兵之を囲むこと数重。夜、漢の軍の四面に皆楚歌(そか)するを聞き、項王乃ち大いに驚きて曰く、漢、皆巳(すで)に楚を得たるか。是れ何ぞ楚人の多きや、と。項王則ち夜起ちて帳中に飲す。美人有り、名は虞(ぐ)、常に幸せられて従ふ。駿馬あり、名は騅(すゐ)、常に之に騎す。是に於て、項王乃ち悲歌忼慨(かうがい)し、自ら詩を為(つく)りて曰く、
 力は山を抜き気は世を蓋(おほ)ふ。時利あらず騅逝かず。
 騅逝かず奈何(いかに)かす可き。虞や虞や若(なんぢ)を奈何せん。
と。歌ふこと数闋(すうけつ)。美人之に和す。項王、涙数行下る。左右皆泣き、能く仰ぎ視るもの莫し。

 
司馬遷の『史記』は、楚の梟雄・項羽が天下に名を馳せながら、ついに漢の劉邦によって絶体絶命の境地に追い込まれた様子をこう記録している。「四面楚歌」の故事で知られたこのエピソードが、以降の時代の詩や文章で伝えられてきて、清代に京劇が発祥すると1922年に『覇王別姫』として項羽(覇王)と虞美人(別姫)が舞台によみがえり、さらに京劇二百周年を記念するこの映画で新たな生命を吹き込まれた。紀元前の楚漢戦争の生み落とした悲劇が、実に2000年以上にわたって連綿と息づいてきたのだ。

 
したがって、映画を前にすると、すべての人間はしょせん歴史の素材に過ぎないように見える。その縮図ともいえるのが、作中でつぶさに描写される京劇一座だ。ここでは座主が師匠として絶対的な権力を握り、親から見捨てられた少年たちを奴隷のように扱い、手足を縛って宙吊りにしたり、開いた両膝にレンガをのせたりして身体を加工していく。演技を仕込んでは、教えたとおりにできてもできなくても引っ切りなしに鞭をふるい、実際、そうした折檻につぐ折檻のなかからしか役者は誕生しないものらしい。かくて、蝶衣と小楼が人気俳優となったあとでも、師匠は意に反することがあればふたりを呼びつけ、裸の尻を出させて「京劇を滅ぼすつもりか!」と打擲したのちに息絶える。

 
大切なのは京劇であって、個々の役者たちではない。こうした世界観は、ひとりの権力者のもとで、人民大衆はさんざん痛めつけられながらも叛くことなく、むしろ理不尽を受け入れることでおのれを生かそうとする支配・被支配の光景とも重なって見えよう。そこには、ハナから民主主義や人権尊重といった理念などありはしない。この映画が暴いてみせたのは、中国という国家を成り立たせている原理そのものだったのではないか。

 
であるなら、いまにして他の国が口角泡を飛ばして、中国を専制主義と見なし、習近平主席を独裁と呼んで批判したところではじまるまい。中国はそうやって悠久の歴史を紡いできたのであり、最高権力者もまたその素材のひとつに過ぎないのであるから。

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