アナログ派の愉しみ/本◎楠 勝平 著『彩雪に舞う…』
ドラマの主役は
時間の流れそのものだ
天才、という言い方はあまり使いたくない。それを使ったとたん話のケリがついてしまう気がするから。だとしても、ときにはどうしたって、天才、と呼びたい存在にめぐり会うことがある。楠勝平もそのひとりだ。わたしがかれの名前を知ったのは、ちくま文庫のササキバラゴウ編『現代マンガ選集 日常の淵』(2020年)の巻頭に置かれた『暮六ツ』による。扉込みで31ページの短篇だが、帰宅途上の電車で吊革につかまりながら一読して、天才、と口がつぶやいていた。
舞台は、江戸時代のどこにでもありそうな職人町。暮六ツ(日没の時分)を迎えて、寺の若僧が深呼吸してからゆっくりと鐘をつきはじめる。その鐘が6度鳴るあいだに起きた出来事が描かれるのだ。曲物師のオヤジが作業場で仕事にいそしんでいると、似たような年格好の旅姿の男が訪ねてきて、ふたりは顔を合わせるなり刀を手にして野原へ向かう。ともに天をいただかぬ間柄らしい。オヤジは駈けつけてきた息子に「助勢はならぬ」と告げ、娘がわが身を差し出そうとしても相手は目もくれず、一刀のもとに父親が斬り倒されて、そこに最後の鐘が鳴りわたる……。
かれらのあいだにどんな因縁があったのか一切の説明抜きで、ただ夏の終わりの日が落ちた静寂のなか、もはや動かしがたい過去に縛られてひとつの生命が消えたという、その重みだけがずっしりとした手応えをもって伝わってくる。そう、ドラマの主役は時間の流れそのものに他ならない。こんなマンガがあったとは! この天才の作品をもっと読んでみたいと思い、ネット古書店を物色して20年ほど前に限定出版されたアンソロジー『彩雪に舞う…』(青林工藝舎)の一冊を手に入れることができた。
楠勝平は1944年東京生まれ。中学生のころからリウマチ熱の後遺症で心臓弁膜症を患い、学校を休みがちな生活でマンガにのめり込み、やがて自分でもペンを持つようになって、1960年に貸本向け短篇集『剣豪画集』でデビューする。その後も業病と闘いながら、私淑する白土三平のアシスタントをつとめる一方で、新創刊の雑誌『ガロ』を中心に創作活動を繰り広げ、1970年にはその『ガロ』で「楠勝平特集」が編まれた。しかし、いよいよ心臓弁膜症が悪化して、東京女子医大付属病院へ再入院していったんは持ち直すものの、1974年3月に容態が急変して死去。享年30だった。
あまりにも短い生涯に、楠はざっと70もの作品を残した。手元のアンソロジーにはそのうち17の作品が収録されており、くだんの『暮六ツ』(1970年)をはじめ、それらの多くが時間の流れを主題にしているように読み取れるのは、病身の作者がつねに自己の残り時間と対峙していたからに違いない。その極北とも言うべきは、書名ともなっている『彩雪に舞う…』だ。この28ページの作品は1972年12月に描かれ、『ガロ』1973年3月号に発表された。
ストーリーらしいストーリーはない。祖父母と暮らす左衛門という名の少年は、物語のはじまりからもう死の瀬戸際にいる。腹部の腫瘍が広がって、医者もさじを投げた状態なのだ。そんな少年は終日、せんべい布団にくるまって、庭先へやってくる鳥たちと対話している。その言葉のやりとりが作品の内実と言っていいだろう。枝の上から落ちてくるかれらの他愛ない愚痴を耳にしては、少年は笑い転げたりしていたが、病状が進むにつれてそんなゆとりも失せていく。ふたたび冬がやってきて、咳き込むばかりで呼吸もままならないかれに向かって、鳥がこう告げる。
いいかい よく聴くんだよ
空に舞う ひけつをおしえよう
それは………
いいかい 雪が降ったとき
羽根を持ち ジーット 雪を見つめて
降ってくる 雪をとめるんだよ
すると からだがかるくなるんだよ……
決して巧みな絵と言うつもりはない。あるいは、このとき作者もまた病苦に喘いでいたのかもしれない、ペンのタッチには切羽詰まった焦燥が感じられるのだ。しかし、それは確かに天才の手になる詩だった。天から舞い落ちる雪のなかで、寝間着姿の少年は鳥に教えられたとおりに一枚の羽根を手に持ってたたずむと、どす黒い陰りを滲ませた顔が少しずつ浄化されて笑みを浮かべていく。かくして、最終のページをめくって眼前に出現したのは……とうてい筆舌に尽くしがたい。わたしは息を呑むことしかできなかった。そこでは、ついに時間の流れが静止していたのである。