アナログ派の愉しみ/音楽◎ムソルグスキー作曲『展覧会の絵』

アル中もまた
世界認識の形式だ


モデスト・ムソルグスキーは重度のアル中による心臓発作で42歳で命を落とした。晩年の肖像画を眺めると、いかにも酒毒のせいで顔面が青白くむくみ、両眼には狂気を孕んだ光が宿っていて凄まじい。前途有為な作曲家をこうした結末へ追いやったのは、身近な人々との死別がもたらした絶望感も原因だったらしく、そのひとり、親友だった画家ハルトマンが急逝したあとにペテルブルクで遺作展へ出向いたことから、熱に浮かされたように書き上げられたのがピアノ組曲『展覧会の絵』(1874年)だ。

 
ただし、ふだんわれわれがコンサートやレコードで親しんでいるのは、約半世紀後にラヴェルが編曲した管弦楽版(1922年)で、さすが「オーケストラの魔術師」だけあって絢爛豪華な音響の大伽藍に仕立てあげられ、もしこのヴァージョンが存在しなかったら今日の人気を獲得することはなかったに違いない。と言うのも、ムソルグスキー自身の手になるオリジナルのピアノ・ソロの作品はずいぶん趣きが異なり、まさしくアル中のイマジネーションが生みだした申し子と呼ぶにふさわしい代物だからだ。

 
そのことを、わたしはスヴャトスラフ・リヒテルのレコードによって教えられた。ウクライナ生まれで旧ソ連時代に若くして台頭したかれは、西側世界に姿を見せる以前の「幻のピアニスト」だった1950年代に『展覧会の絵』の名手として鳴らしていたらしい。いま手元にあるだけでも、52年モスクワでのライヴ録音、56年プラハでのライヴ録音、58年ソフィアでのライヴ録音と同年のスタジオ録音の4種のCDを数えるが、それらはいずれも豪放な酔っぱらいぶりを露わにしている(わたしの耳には52年の録音がベスト)。

 
冒頭の「プロムナード」はぶっきらぼうにはじまる。これは展覧会場をめぐり歩く描写と同時に、アルコールが染みてきた脳ミソと現実との距離感を表していると思う。最初は落ち着いたものだったのが、中世ヨーロッパを題材にした「小人」や「古城」といった絵画を眺めながら、だんだんアルコールがまわっていき、それにつれてあいだに挿入された「プロムナード」の足取りも怪しくなり、ユダヤ人の金持ちと貧乏人の口論を描いた「ザムエル・ゴールデンベルグとシュムイレ」を前にするころには躁と鬱の気分が目まぐるしく交替し、気ぜわしげな「プロムナード」が一気に酩酊の進んだことを告げる。そして、「カタコンベ(ローマ時代の墓)」や「死せる言葉による死者への呼びかけ」に至ると、いまや泥酔状態の脳ミソはどす黒い死の影にすっかり呑み込まれて……。

 
わたしはドストエフスキーの『罪と罰』(1866年)の序盤で、主人公のラスコーリニコフが地下の安酒場で退職官吏マルメラードフと出くわした場面を思い起こす。この五十格好の酔っぱらいは酒のせいで仕事を棒に振り、家族を貧窮に追いやってひとり娘のソーニャを売春婦の境遇に落としたばかりか、そのわずかな稼ぎすらも飲み代にしてしまうおのれのぶざまさを滔々と弁じたてる。かくして、いよいよ最後の審判の日には、神さまはそんな哀れなソーニャを赦して必ず天国に迎えて入れてくれるはずだと主張してから、善人も悪人も賢者も愚者もすべての裁きが済んだあとで、自分たちにもきっと声をかけてくださるだろう、とこんなふうに論じるのだ。

 
「『おまえらも出てくるがよい! 酔っぱらいども、弱虫ども、恥知らずども、おまえらも出てくるがよい!』そのお声で、われわれ一同も、恥ずかしげもなく、出て行って並ぶ。すると、こうおっしゃる。『おまえらは豚にもひとしい! けだものの貌(すがた)と形を宿しておる。だが、おまえらも来るがよい!』すると、賢者や知者がおっしゃる。『主よ! この者たちをなにゆえに迎えられます?』すると、こういう仰せだ。『賢者たちよ、知者たちよ、わたしが彼らを迎えるのは、彼らのだれひとりとして、みずからそれに値すると思った者がないからじゃ……』そう言われて、われわれに御手をのばされる……われわれはその御手に口づけて……おいおい泣いて……なにもかも合点がいく!」(江川卓訳)

 
かく言うわたしもいま振り返ってみて、40代から50代にかけてアルコールの依存症だったと率直に認めざるをえず、いくつも失敗をしでかした過去のある身の上だからこそ、いっそう心揺さぶられるのだろう。あたかもマルメラードフの言葉に応じるかのようにロシア正教の聖歌を引用した終曲「キエフの大門」が、リヒテルの野放図なまでに強靭な打鍵によって奏でられ、『展覧会の絵』がついに混沌の闇を現出させると涙がこぼれてしまう。そして、確かに酔眼でしか見えてこない世界というものが存在し、アル中もまたひとつの世界認識の形式であることを確信するのだ。

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