アナログ派の愉しみ/本◎徳富蘇峰 著『近世日本国民史』

関白秀吉が供した
おもてなしメニューは?


めっきりと食欲が減退した。寄る年波のせいだろうと考えていたところ、先日、久しぶりに大学時代の同窓会が開かれて、一同のなかでひときわ太っていたのは地元の区議選に挑んでいるヤツだった。痛風の気があってと自嘲しながらも、旺盛な食欲を発揮して、いちばん賑やかに笑い声をあげていたものだ。世間ではカロリー制限だ、糖質制限だとかまびすしく、もちろん一理も二理もあるのだろうけれど、そうした窮屈な節制だけがすべてではなく、のびのびとした食欲こそ日々のエネルギーの源泉という当たり前のことを再認識させられた次第。

 
徳富蘇峰が著した『近世日本国民史』の第5巻「豊臣氏時代乙篇」に、1587年(天正15年)6月25日に北九州の箱崎で関白秀吉が催した茶会の献立がのっている。織田信長のあとを継いで全国統一を推し進めてきた秀吉は、九州一円に盤踞する島津氏とのあいだで前年から激しい抗争を重ね、この年の4月にようやく屈服させて九州平定を成し遂げた。その凱旋の道すがら箱崎の筥崎宮に滞陣した際、博多の豪商・神谷宗湛、島井宗室らを招いて千利休の手前により朝茶会が行われたときの記録で、当時の上流階級の飲食事情を伝える貴重な資料だ。

一 内赤鉢子皿に 鱠(鯛大根鱧生姜)
一 御汁(小鳥大根入りてふくさ味噌)
   御本膳(ため塗のをしき)                                                                                                         
一 づつ皿にさざへ味噌焼
一 御飯 再進盆(黒塗)同尺子(くろく)御酒(錫に入る)御湯(ため塗の湯桶に入る)
   御菓子鉢子(皿)に葛の子餅きなこ懸けて、楊枝置きて。

前人未踏の将来に向かって驀進する50歳の秀吉がもてなした料理だ。世界各地から食材がやってくる現代人の目からすると、盛りつけの器は趣向が凝らされているらしいものの、タイとハモのなますやサザエの味噌焼きなど、肝心のメニューはさほど豪華とも見えない。しかし、極東の島国にあって、食品の保存や流通の技術もかぎられていた当時としてはおそらく精一杯の心づくしで、こうしたイベントを意気揚々と繰り広げる秀吉の食欲が、やがて天下人の地位を手中に収める結果をもたらしたはずだ。ちなみに、秀吉はこのとき、宗湛の所有になる茶の名器をしきりにねだり、相手が「日本国の半分との交換なら」と答えたので思いとどまったという。

 
この『近世日本国民史』の著者・徳富蘇峰は、幕末の1863年に生まれ、明治の自由民権運動の風潮のもとで民友社や国民新聞社を創設して、つねにジャーナリズムの最前線に立ってきた。その一方で、浩瀚な資料にもとづいて近代化の道のりを辿る修史事業を志して、55歳のときに『近世日本国民史』の筆を起こし、太平洋戦争をはさむ激動期に書き継いで、89歳をもって全100巻を完結させた。個人編著の歴史書としては世界最大の規模を誇る業績だ。その蘇峰は生まれ故郷・熊本のジビエ料理、野猪のトロトロ鍋が好物で「毛のついたままを食べるのが美味しい」と語っていたそうだから、こうした人間業とも思えない大仕事を完遂させたのもやはり強靭な食欲だったのだろう。

 
さて、わたしも今宵は赤ワインで、血の滴るステーキでもむさぼろうか……。
 

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