アナログ派の愉しみ/本◎江戸川乱歩 著『怪人二十面相』

明智小五郎と怪人二十面相が
同一人物なればこそ


 その頃、東京中の町という町、家という家では、二人以上の人が顔を合わせさえすれば、まるでお天気の挨拶でもするように、怪人「二十面相」の噂をしていました――。

 
最初のページを開き、出だしの文章を目で追ったとたん、あっという間に物語の世界に取り込まれてしまう。

 
その本との邂逅は「学級文庫」だった。わたしが通っていた小学校では、教室のうしろの棚にそれぞれが読み終えた本を持ち寄るという、まだ世の中全体が貧しく気軽に本を買えなかった時代を反映しての仕組みだった。しかし、なのか、だから、なのか、そこに並んでいたのは、世界の名作とか教科の参考書といった推薦図書のたぐいではなく、いちばん幅をきかせていたのが江戸川乱歩の少年探偵団シリーズだったことは、わが母校にかぎった話ではあるまい。男の子も女の子も放課後に、手垢にまみれた本を競いあって読み耽ったものだ。どうして、あんなに面白かったのだろう?

 
シリーズ第1作となる『怪人二十面相』が、雑誌『少年倶楽部』に登場したのは1936年1月号だった。「エロ・グロ」のベストセラー作家だった江戸川乱歩が、世に送り出した名探偵・明智小五郎を子ども向けのヒーローへと転進させたのは、いよいよ軍靴の足音が高まってきた時勢に筆をふるうのが窮屈となったからで、実際、連載開始の直後には青年将校らによる二・二六事件が帝都を揺るがせている。戦後の版では削除されたものの、当時はそうした世相を反映して、物語の前半で明智は満州で重大事件に携わっているとされた。甘粕正彦のもとで謀略工作にでも従事していたのだろうか、その不在中に怪人二十面相による美術品予告盗難事件が発生したため、明智の助手の小林少年が活躍することになる。

 
この明智と二十面相については、かねて一部のへそ曲がりな読者のあいだで囁かれてきた同一人物説(ふたりが人前で同時に現れる場面のみダミー役を立てれば、さほど無理のない設定だろう)にわたしも一票を投じたい。であれば、時代を超えて子どもたちの心を鷲づかみにしてきた理由も理解できるからだ。

 
オモテの理由。その奇特な人物Xは明智になり、二十面相になり、自作自演であの手この手を尽くしては奇想天外なドラマを持ち出してくれるのだ。サンタクロースのプレゼントと同じく、とうに虚構と察しながらも、そんな大人をどうして子どもが愛さないでいられようか。

 
ウラの理由。他方で、それがだれであれ、大人の正体についてつねに懐疑の念を抱いているのが子どもだろう。ふだん猫可愛がりに可愛がっておきながら、何かの拍子に刃を向けてくることを、みな知覚しているのだ。肩書きや外見で気を許すのは楽天的な大人のことで、だからテレビの「2時間サスペンス」程度で喜んでいる。子どもはそうは行かない。明智=善、二十面相=悪ではなく、いずれもが人物Xの両面だとすれば、凡百の児童書の説教よりずっと腑に落ちよう。つまりは、かれらのほうがリアリストなのだ。

 
物語が後半に入ったところで、明智と二十面相は直接対決というにはいやに和やかな会話を交わす。むしろ、自問自答といったほうが似つかわしい。二十面相が「なんて生甲斐のある人生でしょう。アア、この興奮の一ときの為に、僕は生きていてよかったと思う位ですよ」と述懐したあとに、こんなやりとりが続くのだ。

 
 二十面相「明智君、あの事件では、君も共犯者だったじゃありませんか」
 明智「共犯者? アア、成程ねえ。君はなかなか洒落がうまいねえ。ハハハ……」


【追記】
先年、学級文庫ならぬ岩波文庫に『怪人二十面相』が収められた。日本文学の古典と認められたからだろう。やがて国語の教科書に登場する日も近いのではないか、と心待ちにしている。



 

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