アナログ派の愉しみ/映画◎ヤン・イクチュン監督・主演『息もできない』
「膝を貸してくれ」「勝手にすれば?」
それは史上最高のラヴシーンのひとつだ
チャールズ・チャップリン、ローレンス・オリヴィエ、オーソン・ウェルズ、フランソワ・トリュフォー、クリント・イーストウッド、北野武……。映画史上で、みずから監督と主演を兼ねて傑作をつくりあげた面々だ。韓国のヤン・イクチュンはまだ本格的なキャリアは浅いけれど、『息もできない』(2008年)の一作だけでもその系譜につらなる有資格者だろう。
ストーリーは他愛がない。というより、がっちりとドラマを構築することを拒むかのような作風なのだ。社会の底辺で借金の取り立てを生業とするチンピラ(ヤン・イクチュン)と、歯に衣着せぬ物言いの女子高生(キム・コッピ)が出くわし、ののしりあい、ツバをかけあいながら、少しずつ交流を重ねていく。暴力にすがり「シバラマッ(くそったれ)」が口癖の青年、「汚い言葉しか知らないのか、イカレ野郎」と切り返す少女。しかし、おたがい相手の内面に触れることはしない。実は、どちらも父親の歪んだ性格によって破綻した家族を負っていたのだ。
こんなに憎んでも血を分けた父親の存在から逃れることはできず、もはやぎりぎりのところまで追い詰められたふたりは、深夜、ソウル市内を流れる漢江の堤防で落ち合って缶ビールを飲み、こんなくだらない会話が交わされる。
「あんたってずるい。自分の好きなときだけ連絡して、私の連絡は無視。そんな人生じゃダメ」
「どう生きりゃいい? 高校行ってんだろ、教えろ」
「教えようか? それは……私のためにお金を使えば幸せになれる」
「高校生をぶん殴ってやろうか」
「チンピラをぶん殴ってやろうか」
「膝を貸してくれ」
「勝手にすれば?」
このあと、膝枕をした男とされた女は寄り添って、ついにおたがいに嗚咽をこらえきれなくなる。だが、ふたりは決して性的関係に踏み込まない。そうすることでおのれの孤独を誤魔化すには、あまりにもナイーヴなのだ。むしろ神秘的ですらあり、わたしはこれまで映画で出会った最高のラヴシーンのひとつだと思う。
当節、世間ではコミュニケーション能力なるものがもてはやされて、小学校からプレゼン力を鍛える授業が行われ、テレビをつければだれもかれもがしたり顔でペラペラとしゃべりまくっている。CMで三船敏郎が「男は黙ってサッポロビール」とつぶやいて流行語になったのはもうはるか昔だ。そうした事情は韓国社会だって似たり寄ったりだろう。しかし、突如現われたヤン・イクチュン監督は、みずからを徹底してコミュニケーションの能力を欠いた者に仕立てることで、人間同士の究極のふれあいの瞬間を描いてみせたのだ。
わたしにとってこの映画は、膝枕のシーンがフィナーレであり、そのかぎりでこれまでの歴史的な傑作に肩を並べるものと評価している。以後の結末をつけるための30分間は不要だ。