アナログ派の愉しみ/本◎坂口安吾 著『堕落論』

小学5年生に教えられた
太平洋戦争の意味とは


小学5年生の少女と対話する機会を得た。長年懇意にしてきた夫妻の孫娘で、赤ん坊のときから知っている仲なのだが(なぜかわたしと目が合うとよく泣きだしたものだ)、わずかな時間ではあれ、正面切って言葉を交わしたのはこれが初めてだった。彼女の弁によると、ふだんテレビや新聞はまったく見ない、スマホでSNSやゲームをやるほうがずっと楽しいし、友だちとのおしゃべりでもユーチューブやネットフリックスの話題ばかりという。確かに、既存のマスメディアではそこに登場する側が主役なのに対して、デジタルメディアではこちらの自分の側が主役として振る舞えるのだから当然の選択だろう。

 
話は続く。学校の科目で、得意なのは算数と理科。苦手なのは、国語と社会。そこで、わたしが日本とアメリカの戦争について尋ねると「知らない」、アメリカが原爆を落としたことについても「知らない」……。なるほど、テレビ・新聞の報道に接することなく、社会の授業が興味を惹くこともないとすれば、これもまた当然の帰結に違いない。彼女はなんの屈託もない、満面の笑みの花を咲かせたのである。

 
「人間。戦争がどんなすさまじい破壊と運命をもって向うにしても人間同士をどう為しうるものでもない。戦争は終った。特攻隊の勇士はすでに闇屋となり、未亡人はすでに新たな面影によって胸をふくらませているではないか。人間は変りはしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない」

 
無頼派の作家、坂口安吾の『堕落論』(1946年)の一節を引用したのは、小学生が太平洋戦争について「知らない」と言うときに、じゃあ、何をもって「知っている」と見なすのかを考えたいためだ。よもや縄文・弥生時代から続く日本史年表の、昭和時代前期のいくつかの年号と出来事を暗記すればいいという話ではあるまい。肝心なのは、そうした歴史的体験によって形づくられ、今日に至るまで連綿と脈打ってきた日本人の精神構造への理解のはずだ。敗戦直後の坂口の熱っぽい論理にしたがうなら、みずからの内なる「堕落」がキイワードなのだろう。

 
わたしが生まれたのはこの文章が書かれてから十年あまりのちだが、それでも物心ついたころ、まだ戦場や銃後にあって落命した親族の記憶とともに、口にするのも憚られる身内の動静をめぐって重い空気がわだかまっていた。むしろ、そうした世間にあまねく浸透していた「堕落」が、未来に向けての野放図なエネルギーにもつながり、その背後につねに陰りがつきまとっていたからこそ、東京オリンピック(1964年)や大阪万国博覧会(1970年)はいっそう輝きを際立たせたのではなかったか。やがて日本が世界に冠たる経済大国となり、キリスト教世界以外で唯一のG7参加国となり、さらには現在、国連安全保障理事会の常任理事国の立場まで窺っているのも、すべてアメリカと戦って敗北したことの「堕落」からはじまったように見えるのだ。

 
こうしてみると、彼女の天真爛漫な「知らない」という答えが、あらためて太平洋戦争の意味をわたしに教えてくれたことになる。小学5年生とは11歳。あと7年で日本国民として成人年齢に達するわけだ。この間に果たして、日本とアメリカが人類史上最も凄まじい戦争を繰り広げた過去についてどのように認識し、その認識と自分自身との関係をどのように位置づけるのだろうか。

 
いや、待て。かれら新しい世代に先んじて、われわれ大人のほうがすでに「堕落」を忘れ去り、歴史を前にただの鉄面皮と化しつつあるとしたら? いやいや、笑いごとじゃない。今年(2023年)5月のG7サミットで、たとえ議長役の岸田首相のお膝元の広島を会場として、初めて主要国の首脳たちが揃って広島平和記念資料館(原爆資料館)を訪れるという賑々しい演出が行われたところで、一体、そうした日本人の精神構造のもとでどれだけの意味があるだろう? 坂口も『堕落論』をつぎの文章で結んでいるではないか。

 
「人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。そして人の如くに日本も亦(また)堕ちきることが必要であろう。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である」

 


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