アナログ派の愉しみ/音楽◎モーツァルト作曲『ピアノ協奏曲第23番』

「ネコの脳ミソ」の
ホロヴィッツの演奏を聴く


その演奏が実際の音としてレコードに記録されるようになって時代のピアニストについて人気投票を行ったら、ウラディミール・ホロヴィッツがトップの最有力候補だろう。少なくともベストスリーに入ることは間違いあるまい。さらに高飛車な物言いを重ねれば、ベストスリーの他のふたりの顔ぶれは替わっても、ことホロヴィッツに関しては未来永劫不動ではないか。それほど比較を絶したピアニストなのだ。1903年にロシアのウクライナで生まれ、キエフ音楽院を卒業後、1920年に初めてリサイタルを開いたのを皮切りに国内外で華々しく演奏を行い、1940年代にアメリカを拠点としてからは健康上の理由で活動の休止と再開を繰り返しながらも、つねに世界じゅうのファンの注目を集めた。

 
そんなホロヴィッツが1987年3月、83歳のときにイタリアへ出向き、ジュリーニが指揮するミラノ・スカラ座管弦楽団と組んでモーツァルトの『ピアノ協奏曲第23番』のレコードをつくった。このときの録音風景を収めた映像を眺めるたびに、わたしは中村紘子の著書『チャイコフスキー・コンクール』(1988年)の一節を思い起こす。自分がコンクールの審査員をつとめた体験から、日本人ピアニストがなかなか感動的な演奏ができないのは表現力や技術の乏しさのせいではなく、本場の文化に対する「教養」が欠けているからだと考えて、アメリカの著名な音楽評論家ハロルド・ショーンバーグに意見を求めたところ、相手は眉間にしわを寄せてこう答えたというのだ。

 
「ホロヴィッツに、ネコの脳ミソほどの知性も期待してるやつはいないよ。しかし、彼の演奏は素晴しい。これはちょっと極端すぎる反論かね?」

 
この映像記録では、ジュリーニとオーケストラが準備を終えて待ち構えていると、ホロヴィッツがワンダ夫人(名指揮者トスカニーニの娘)をともなって現れるなり、開口一番「なんで今日やるんだい?」と訊ね、スタッフの青年を指して「かれのほうがずっとハンサムだから、かれを撮影すればいい」と真顔で提案して、周囲を唖然とさせている。その後も、アメリカから運んだ専用のピアノの前にやっと座って「指が冷たい」とごねたり、無関係なフレーズを弾き出したりと、まあ、確かに一般的な常識からはかけ離れた言動のようすが捉えられているのだ。

 
ところが、ジュリーニがタクトを取り、第1楽章のオーケストラの序奏に続いてホロヴィッツのピアノが入ってきたとたん、ちぐはぐな雰囲気が一変して、世界が燦然と光を放ちはじめる。第2楽章は、モーツァルトがつくった27のピアノ協奏曲のすべての楽章のなかでも哀愁に彩られたメロディの美しさでは随一だろう。それをホロヴィッツの指先は無垢な子どものように一点の曇りもなく奏でてみせる、どこまでも澄み切った透明さは狂気にさえ接近していきながら。そして、怒涛の最終楽章ではよほど興が乗ったらしく、しばしば鍵盤から両手を振り上げ、満面の笑みで(指揮者がいるのに)オーケストラをリードして……。

 
こうした特異な感性のゆえだろう、ホロヴィッツが残した膨大なレコードの大半はソロの演奏が占め、オーケストラとの協奏曲はわずかにベートーヴェンの5番、ブラームスの1番と2番、チャイコフスキーの1番、ラフマニノフの3番を数えるのみだが、いずれも超弩級の名演と知られている。それだけにどうした風の吹き回しか、最晩年にこのモーツァルトを録音してくれたことにわたしは天祐の思いがするのだ。

 
「単なる楽器の魔術師ではなく、真の再創造を目指す演奏家には、3つの要素が同じ比重で必要だ。その3つとは、磨き上げられた想像力豊かな頭と、解放された自由な心と、鍛え抜かれた技巧である。この3つの要素をバランスよくそなえ、芸術的な高みに達した音楽家はめったにいない。私が終生追い求めてきたのは、その境地である」(木村博江訳)

ホロヴィッツ自身の言葉だ。必ずしも「ネコの脳ミソ」の持ち主だけだったわけではないことの証としてつけ加えておきたい。


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