アナログ派の愉しみ/映画◎フェリーニ監督『道』『ジンジャーとフレッド』

だれだって人生の道のりは
ひとりで歩いていくよりほかない


真に優れた映画とは、それを観る前と観た後で世界の見え方が一変してしまうような映画であり、フェデリコ・フェリーニ監督の『道』(1954年)がそのひとつであることに異論を持つひとはいないだろう。かつまた、『道』を優れた映画としている最大の要因が、監督夫人の女優ジュリエッタ・マシーナの演技であることに異論を挟むひともいないのではないか。フェリーニは回想録『私は映画だ』(1974年)のなかでこう語っている。

 
「妻のジュリエッタには、自然に夢を呼びおこす天分がある――そしてその、一種の覚めた夢は、まるで彼女自身の意識の外で生じているように見える。彼女が道化師のような身ぶりで私との関係のなかに具体化しているものは、純真さへのノスタルジアである。私は彼女とアメリカに行ったが、『道』の上映がすむと、観客は彼女にほほえみかけたらいいのか、彼女の服のへりにキスをしたらいいのか、とまどった。彼らはジュリエッタを聖マルガレータとミッキー・マウスの中間にいる人間として見たようだ」(岩本憲児訳)

 
うら寂しい海辺で、知恵遅れのジェルソミーナ(ジュリエッタ・マシーナ)が戯れている。その彼女を買い求めに大道芸人のザンパノ(アンソニー・クイン)がやってきて、母親は涙をこぼしながらもあっさりとカネを受け取り、こうして野獣のような男と純真無垢な娘のオート三輪を駆っての旅がはじまった。以降の成り行きをジェルソミーナの側から叙述すると、ざっとこうなるだろう。

 
その夜、荷台で男に犯されて彼女は泣きじゃくるものの、表情にはどこか自負の気配も窺われる。果たして、翌日から観客たちを前に男とのかけあいも馴染み、陽気なダンスを披露して、仕事のあとには居酒屋で男の生い立ちを思いやって母性本能さえ発揮するのだが、当の男は居合わせた女とさっさと出かけてしまい、彼女は嫉妬の感情を爆発させる。つまり、それまで貧しい家に引きこもっていたのが、ザンパノの強引な導きによって初めて世間と出会い、人生というものに参加しようとする物語なのだ。

 
そんなジェルソミーナの前に、空中芸がなりわいの青年が現れる。芸名の「狂人」とは裏腹に、その背中に羽根を生やした姿は天使と見えたし、実際、男の裏切りにつぐ裏切りに傷ついた彼女に対して、かれが告げた「この世の中にあるものはすべて何かの役に立つんだ」という言葉はまさに天上からの声だったろう。しかし、かれはみずから死を望むかのようにしつこくザンパノを挑発したあげく殴り殺され、そのありさまを目の当たりにした彼女はわれを失い、次第に精神が崩れていく。ザンパノは彼女を見捨てて去り、数年後にその死を知った男は海辺で慟哭するしかなかった……。

 
ふたつの孤独な魂が行き着いた道のりの終着点。このラストシーンと向きあうたびに、わたしは感涙と鼻汁を噴きこぼしながら、それにしても、と頭の片隅で問わずにいられなかった。こんなにも無残な結末しかありえないのか? ありえないのだろう、と自分に言い聞かせてきたところ、最近、別の結末の可能性を知った。フェリーニ監督がジュリエッタ・マシーナと、およそ30年後に撮った『ジンジャーとフレッド』(1985年)を観たからだ。

 
アメリア(ジュリエッタ・マシーナ)とピッポ(マルチェロ・マストロヤンニ)は、ロートルの芸人コンビだ。かつて、戦前のハリウッドで一世を風靡したジンジャー・ロジャース&フレッド・アステアのダンスをまねて人気を博したふたりは、テレビのクリスマス番組で30年ぶりに(!)再会してステージに立つ運びに。いまや頭の禿げた男は怒りっぽいアル中状態で、すぐに息が切れしたり足がつったりする始末だったけれど、本番では女が励ましながら華麗なペアダンスをまっとうして拍手喝采を浴びる。その夜、ふたりはローマ駅のプラットフォームで、おそらくは永遠の別れの言葉を交わすのだった。「悪いけど見送りはしないよ、別れがつらいから」「いいわ、手紙をちょうだい。会いに来てくれたらすごく嬉しいわ、気が向いたときに。だって、もういっしょに踊れないでしょうから。さよなら、ピッポ。元気でね」「アメリア、キスしてくれ」―-。

 
このとき、ジュリエッタ・マシーナは65歳。わたしの目には「聖マルガレータとミッキー・マウスの中間にいる人間」として融通無碍の境地にあり、このラストシーンはもうひとつの『道』の結末のように映る。たとえ相手が老いたるザンパノであっても、今度はジェルソミーナのほうから導いて、きっと同じ会話がなされるだろう。もはや涙にくれることはなく、静かな笑みを絶やすこともなく。どのみち、だれだって人生の道のりはひとりで歩いていくよりほかないのだから。

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