アナログ派の愉しみ/音楽◎吉永小百合 語り『夏の夜の夢』
メンデルスゾーンの音楽と
一体になったファンタジーの小宇宙
モーツァルトより半世紀ほど遅れて、1809年ドイツのハンブルクに生まれたフェリックス・メンデルスゾーンの、ヨーロッパ音楽史への登場には画期的な意味があった。おそらくはモーツァルトに匹敵する早熟の天才であった(そして、惜しくも30代半ばという若さで人生を終えたのもモーツァルトと同様だった)ことに加え、かれによって新たに三つの扉が開かれたとわたしは考えるからだ。
第一の扉は、父親が富裕な銀行家というブルジョワジーの出自だったこと。モーツァルトやベートーヴェンは音楽家の父の手で教育されたのち、王侯貴族の庇護のもとで作曲家として成長していき、そのため経済的にはつねに他人の顔色を窺わざるをえなかった。これに対して、メンデルスゾーンはなんら右顧左眄する必要がなく、同じブルジョワ階級に支持されたことによって、その音楽はあくまで明朗だった。
第二の扉は、ユダヤ人だったこと。その後のマーラーやシェーンベルク、われわれに親しいレナード・バーンスタインといったユニークな作曲家の系譜を紡いでいくとともに、他方では反ユダヤ主義が音楽にも持ち込まれることになり、ヒットラーのナチス政権下では音楽史からメンデルスゾーンが抹消される事態まで現出して、こうした不寛容について人類はいまなお完全な解決に至っていない。
そして第三の扉は、めざましいインテリジェンスの持ち主だったこと。最大の功績は、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ亡きあと忘却の彼方にあった『マタイ受難曲』の価値を見出し、およそ80年ぶりにみずからの指揮で蘇演して、この偉大な音楽の財産をレパートリーに定着させたことだ。そんなメンデルスゾーンは、イギリスのシェイクスピア劇にも着目して、わずか17歳のときに『夏の夜の夢』のための序曲をつくり、以後、さまざまな作曲家がシェイクスピア劇に立ち向かっていく嚆矢となったのである。かれ自身も早すぎる晩年にふたたび『夏の夜の夢』を取り上げ、ソプラノとメゾ・ソプラノの独唱に女声合唱も加えて、新たに12曲の劇付随音楽をまとめた。そこに含まれるあまりにも有名な「結婚行進曲」には、かつてお世話になったひとも多いだろう。
ここに紹介するレコードは、小澤征爾がボストン交響楽団を指揮して1992年に録音したもので、キャスリーン・バトル(ソプラノ)とフレデリカ・フォン・シュターデ(メゾ・ソプラノ)との共演のもと、繊細きわまりない音楽が奏でられていく。さらに日本人のわれわれにとって贅沢なのは、あの吉永小百合が語り役をつとめていることだ。たいていのレコードが音楽のみを収録するなか、このレコードでは、シェイクスピアの戯曲から妖精パックを中心にセリフをピックアップして、メンデルスゾーンの音楽と組み合わせることで、耳だけで楽しめるファンタジーの小宇宙を形成しているのだ。
しかも、松本隆によって訳された日本語はみずみずしさのきわみ。ふた組の若いカップルの恋の鞘当てを軸に、ギリシャの森で繰り広げられるドタバタ劇がようやく収まって、夜もすっかり更け、人間どもは寝静まり、妖精たちの賑やかな時間に移ろうとするころ、パックのセリフは吉永小百合の声でこんなふうに語られる……。
月の女神の馬車守り
お天道様に顔背け
夢見るように闇を追う
さあ、お祭りだ、引っ込め鼠
聖なる館乱すなよ
ぼくは箒を持って先回り
扉の後ろに積もった塵を
払い清める役回り
その吉永は、のちに山田洋次監督の映画『母と暮せば』(2015年)で、長崎の原爆投下によって命を奪われた息子が、3年後に幽霊となって現れたのを迎えて交流する母親を演じた。70歳の年齢を数えて、ぴんと背筋をのばし、静かな諦観のまなざしを向ける姿はひたすら美しい。そして、この現代日本のファンタジーを支える音楽もまた、つねに微笑みを失わないメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲であった。
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