アナログ派の愉しみ/本◎トルストイ著『戦争と平和』

文豪が夢見た
女性の究極の美しさ


もしも容姿が美しくなることを進化と見なすなら、この一世紀のあいだに地球上の女性は相当の進化を遂げたのではないか。テレビを眺めていると、五大陸の各地から送られてくる映像のなかの女性たちが、人種の違いや経済格差を超えて、それぞれにメリハリのあるルックスとプロポーションをわがものとしていることに驚かされる。朝夕の通勤電車で行き会う面々だって、ときに日常生活の疲れが窺われるとはいえ、外見のあでやかさを昔日と較べたら月とスッポンだろう。

 
もっとも、そうした事情が個々の女性にとってハッピーなのかどうかはわからない。なぜなら、美しさの偏差値がバラけていてこそ優れた容姿の価値は高いので、全体の偏差値が底上げされれば相対的に価値は下がるわけだから。結局のところ、猫も杓子もルックスとプロポーションだけでは袋小路に入ってしまい、それに代わる美しさの基準が求められるのではないか? こんなへそ曲がりな疑問を抱くのは、レフ・トルストイの『戦争と平和』(1869年)の一節がずっと頭の片隅に残っているせいかもしれない。

 
それはこの堂々たる世界文学の本編ではなく、全四部が完結したあとのエピローグとして添えられた部分だ。ナポレオン率いるフランスとの戦争が迫り、国家の存亡を賭してロシア全土が立ち上がる時代背景のもと、貴族社会を舞台とする波瀾万丈の悲喜劇において、可憐な縦糸となっているのはロストフ伯爵家の令嬢ナターシャだ。ボルコンスキー公爵家のアンドレイと相思相愛の婚約を交わしたが、一時の気の迷いから裏切り、ようやく和解したもののアンドレイが戦場で負った傷により落命したのち、その親友であるベズーホフ伯爵家のピエールと結ばれる。

 
エピローグでは、そんな有為転変を経て、ナターシャが一家の主婦となった様子がつぎのように記述される。(藤沼貴訳)

 
ナターシャは一八一三年の早春に結婚して、一八二〇年にはもう三人の娘と一人の男の子がいた。男の子を彼女はとても欲しがっていたし、今では自分で乳をやっていた。彼女は太り、横幅が広くなってしまったので、このたくましい母親が、昔は細い、敏捷なナターシャだった、と見て取るのは難しいほどだった。彼女の目鼻立ちははっきりして、落ち着いた柔らかい、すっきりした表情になっていた。その顔には、以前のように、あのたえまなく燃える、彼女の魅力だった生気の炎がなかった。(中略)
ナターシャはすっかりたるんでしまって、彼女の服装、髪かたち、とんちんかんなことば、やきもちが――彼女はソーニャや、女の住み込み家庭教師や、美人だろうと不美人だろうと、ありとあらゆる女性にやきもちをやいた――いつも、身近な者たちみんなの冗談の種になるほどだった。ピエールは女房の尻に敷かれているというのが大方の意見で、実際そのとおりだった。結婚した最初の数日から、ナターシャは自分の要求をはっきり言った。ピエールは自分の生活の一分一分が妻と家庭のものなのだという、彼にとってはまったく新しい妻の考え方にひどく驚いた。ピエールは自分の妻の要求に驚いたが、それに魅かれ、それに従った。

 
ナターシャと言えば、この歴史絵巻が東西で映画化された際、キング・ヴィダー監督のハリウッド版(1956年)ではオードリー・ヘップバーンが、セルゲイ・ボンダルチュク監督のソ連版(1966年)ではリュドミラ・サベリーエワが扮して、どちらも生身の女性とは思えない、まさに妖精の風情で観衆を見惚れさせたものだ。したがって、あとで原作を読んで、その行く末が陽気でたくましいビヤ樽のような主婦だと知ったときにがっかりしたのは、決してかつてのわたしだけではないはずだ。

 
しかし、19世紀のロシアを生きたトルストイは、まったく異なる女性観を育んだらしい。作者の分身であるピエールをとおして、ナターシャに仮託した変貌を戸惑いながらも受け入れ、ついには熱烈に賛美するようになった心理がひしひしと伝わってくるではないか。一説では、この作品に『終わりよければすべてよし』の題名をつけることも考えていたという。現実には結婚生活に対してとめどない疑問を抱いて悩み抜き、最後は82歳で家出して鉄道の駅舎で頓死するに至ったトルストイが、この『戦争と平和』を完成させたのは41歳のときだった。奇しくもちょうど人生の折り返し点にあって、文豪はみずからが夢見た女性の究極の美しさをエピローグに書きつけたのだろう。

 
21世紀の今日、メリハリのあるルックスとプロポーションで妍を競うよりも、いっそビヤ樽のようにでっぷりと太って、亭主を尻に敷きながら、無邪気にやきもちを焼いて周囲から笑われてはそれ以上の大声で笑い返し、両腕でむんずと家族を抱き止めて揺るがない、そんな図太いあり方のほうが女性の美しさと言ったら、ただのアナクロニズムか。それとも、もはやだれにも手の届かない遠い幻想だろうか。
 


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