アナログ派の愉しみ/音楽◎ジャクリーヌ・デュ・プレ

天才という
重い十字架を背負って


その朗々とした響きからチェロは「歌う楽器」と呼ばれるが、実際、人声と同じくそれぞれ個性的で、レコードを聴く側からしても演奏家ごとの好みがはっきり出やすいように思う。たとえば、バッハの『無伴奏チェロ組曲』ならカザルス、ドヴォ・コン(ドヴォルザークの『チェロ協奏曲』)ならロストロポーヴィチ、そして、エルガーの『チェロ協奏曲』ならデュ・プレでなければならない。むろん、他の名だたるソリストたちの手並みにも感銘は受けるが、どうしたってかれらの演奏と較べてしまい不満が残るのだ。それはわたしが過去に刷り込まれた個人的事情だとしても、おそらく同好の士で見解をともにされる方は多数にのぼるだろう。

ジャクリーヌ・デュ・プレは1945年にオクスフォード生まれ。幼くしてチェロの才能を発揮し、1961年に16歳でプロ・デビューして、世界じゅうのファンからジャッキーの愛称で親しまれ、21歳のときにやはり新進気鋭のピアニスト・指揮者だったダニエル・バレンボイムと結婚していっそう華やかなスポットを浴びたものの、やがて身体の不調を訴えて、まだ20代後半の若さで引退する。その後、多発性硬化症(MS)の診断が下されて療養生活を送ったのち、1987年に42歳で他界した。ちなみに、彼女の約10年の活動期間は、リヴァプール出身のザ・ビートルズの全盛期とぴったり重なっており、クラシックとポップスのジャンルこそ違え、ともに1960年代の若者の光り輝く時代に英国が世界に送りだしたスターだった。

こうしてジャッキーは伝説と化した。あたかも現代に束の間よみがえったケルトの妖精のように、その可憐ではかない面影を偲んで、われわれは残された数多のレコードに耳を澄ませてきたものだ。なかでも、トレードマークともいうべきエルガーの『チェロ協奏曲』を1965年にジョン・バルビローリ指揮ロンドン交響楽団のバックで入れた録音は金字塔と呼ぶにふさわしい。英国の作曲家エドワード・エルガーが晩年の62歳でつくった地味な人生観照の作品に対して、20歳の女性チェリストが熱い息を吹き込みながら隈取りをつけていくありさまに、いまさらながら涙を振り絞った覚えがあるのはわたしだけではあるまい。ジャッキーは美しい神話として永遠に伝えられていく……はずだった。もし一冊の本が世に現われなかったなら。

ジャッキーの没後10年が経過した1997年、その姉ヒラリーと弟ピアスの共著になる『風のジャクリーヌ』(原題『わが家の天才』)がファンの度肝を抜いた。そこには家族でなければ知りえない彼女の実像が報告されていたのだが、とりわけショッキングなのはその性的な遍歴だった。どうやら音楽だけでなくこちらの方面もかなり早熟だったらしく、デビュー当時にパートナーを組んだピアニストと不倫の関係になったり、留学先のソ連でレッスン仲間にレイプされて中絶手術を受けたり、また、周囲の猛反対を尻目にユダヤ教へ改宗してイスラエルで結婚したバレンボイムとの仲は早々に破綻し、そのフラストレーションからなんと姉の夫との性関係を求め、やむなくヒラリーも黙認するという事態に立ち至ったり……。さらには、MSが進行して車椅子生活を送るようになってからも、男性客がやってくるたび「セックスして!」と迫ったことまでが赤裸々に暴露されているのだ。

この本は話題を呼んだばかりでなく、ただちに『ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ』(1998年)として映画化されて、クラシック音楽とは無縁な人々にまでスキャンダラスに扱われたため、心あるファンからは著者の姉弟に対して非難囂々の声が湧き起こったようだし、あまつさえ、スターの偶像が色褪せるのにともなって、かつてあれだけ神聖視されたエルガーの『チェロ協奏曲』の演奏についての評価もずいぶん落ち着いたものになっていったように見える。しかし、とわたしは思うのだ。偉大な演奏は偉大な人格者によって達成されるものだろうか? まさか。むしろ逆だろう。われわれ凡人よりも大量の感情を持ちあわせて、それをすべて演奏に注ぎ込むことができる力こそ天才の証のはずだ。ありし日のジャッキーを記録したドキュメンタリー映像を眺めると、ふだんは人懐こい表情なのが、演奏行為に入ったとたん形相が変じて鬼面と化す様子が生々しく記録されている。こうしたオフとオンのスイッチが利かなくなって日常生活にまで感情が氾濫したときに起こる事態が、この本に描かれた光景ではないか。

それ以上に、わたしを瞠目させた記述がある。どうやらジャッキーは身体の異状を正式な診断が下されるよりもはるか以前に感知していたらしく、早くも9歳のころに姉に向かってそっと打ち明けていたというのだ。そんな彼女は、みずからがエルガーの『チェロ協奏曲』に立ち向かうにあたってこんな言葉を口にしたという。

「エルガーは不幸な人生を送ったの。いつも病気で。でも、その間も彼の魂は輝いていたの。私、彼の音楽にそれを感じるのよ」(高月園子訳)

ここに語られているのは、まさしくジャッキー自身のことに他ならない。可憐なケルトの妖精であり、さまようニンフォマニアであり、不治の業病を患う者であり、さらには天才というあまりにも重い十字架を背負って、すべての感情を一丁のチェロに注ぎ込むことにより、おのれの「不幸な人生」を「魂の輝き」へと昇華させたのである。いまのわたしはかつてよりもずっと、彼女の演奏を偉大なものと受け止めている。

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