アナログ派の愉しみ/音楽◎ポール・ブレイ演奏『オープン、トゥ・ラヴ』

カナダに生まれたふたりの
ピアニストが奏でる「静寂」の世界


『オープン、トゥ・ラヴ』と出会ったのは大学生のころだから、もう40年ほどのつきあいになる。1932年生まれのカナダのジャズ・ピアニスト、ポール・ブレイが1972年に録音したソロ・アルバムだ。雑誌の記事に紹介されていたLPをレコード店の棚に見つけたわたしは、ふたつの平面に色鉛筆で垂線を描きつらねたふうの絵柄に惹かれて「ジャケ買い」したのだった。のちに同じデザインでCD化されてからも買い直し、年に1度か2度はプレーヤーにかけるという関係が続いてきた。

 
いわば腐れ縁のようなこのアルバムについて、わたしが知っているのはライナーノートに書かれていることぐらいで、LPにつけられた当時の解説がそのままCDになっても流用されている。それによると、ここに収められた7曲はピアニスト本人とふたりの元妻が作曲したもので、錯綜した男女関係の結果として「より官能的であり、そして、誤解をおそれずに言えば、より不健康であり、退廃の匂いさえ感じられる世界」(青木和富)が繰り広げられたという。

 
御説ごもっともだが、すでにこれだけの年月が流れ去り、恋多き本人も2016年に83歳で亡くなったいま、改めてこのアルバムに耳を傾けると、そうした生臭さはすっかり抜け落ちて、純粋な音響の世界だけが浮かびあがってくるように思える。そして、その主役は「静寂」だ。あくまで音を切りつめていった先に漆黒の静寂が立ち現れて、強めの打鍵が放つわずかな音たちと切りむすぶ――。ひんやりと綾なす光芒は、これまでそうそうレコードから聴き取れるものではなかった。

 
そうそう聴き取れはしないのだけれど、ひとつだけ思い当たる録音がある。ポール・ブレイと同じ年にカナダで生まれた天才ピアニスト、グレン・グールドの異色のアルバム『20世紀カナダのピアノ音楽』(1966~67年)だ。とりわけアンハルト作曲『幻想曲』では同質の静寂のもとで、いっそう研ぎ澄まされた光芒が奏でられている。だとすれば、それはジャズとクラシックのジャンルの違いを超えて、カナダの地に生まれたピアニストの指先だけが紡ぎ出せるものだったのかもしれない。

 
今後もわたしは年に1度ぐらい(おそらく真冬の深夜に)、このあたかも天空のオーロラを思わせる音楽に心を遊ばせていくのだろう。


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