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簡単そうで難しい古典派経済学における「価値」の概念〜経済学原理第二章第一節について〜

 古典派経済学でいうところの価値とは、使用価値と交換価値である。従来の古典派や資本論の常識によると、人類は物々交換をやろうにも上手くいかず、みんなで共有できる一般的等価物を定め貨幣が成立したとされる。しかし最近では、人類学者のデヴィッド・グレーバーが、「お金の起源は物々交換ではなく、貸し借り契約の『借用証書』である」という異説を唱えている。つまり従来から考えられていたように、物々交換が始まり、貨幣が考案されて、そのあとから信用システムが構築していったわけでなくその真逆だったと考える。古代人は貸し借り契約を始めて、借用証書を作りそれが貨幣になったということである。ということは、いわゆるバーター貿易は物々交換なのだから、物々交換は一番新しい取り引きの形態に一応なる。ちなみに硬貨の使用は、負債論によると、政府が硬貨を軍人の給料として用いたことが原点らしい。マルサスの経済学原理では、大昔のメキシコはカカオの実が硬貨と同じ役割だったことを説明しているが、負債論が正しいとすれば、古代のメキシコでも借用証書に該当する代物が作られて、その後貨幣としてカカオの実が利用されたことになる。
 私はグレーバーの負債論はまだ読んでないので、あまり詳しくは説明できない。しかし極めて興味深い見解であるので、このことについても触れておいた。

 二章は「価値」の性質や尺度について論じられており、この節においては尺度の分析はまだ掘り下げていないが、価値の種類は以下のように定義づけられている。

①使用価値=その一つの対象にある本質的な効用のこと。
②名目的交換価値=貨幣そのものの価値で、マルサスは貴金属の貨幣価値とした。
③真実交換価値=一つの対象が、労働も含めた生活必需品と、便宜品(おそらく贅沢品とほぼ同じ意味)を購買できる力のこと。
 
 この節の最後でマルサスは、「アダム・スミスは、一つの商品の原価と労働を購入できる価値を混同している」と批判した。この点もより深く研究していく必要があるだろう。

 今回の記事もお世辞にも、経済学原理に対しての掘り下げができている文章とはいえないのだが、一応文章としてまとめないと前には進めない。これからもなんとか頑張っていきたい。