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53 なんとなくスリランカ 最終回 (またいつか ヒッカドゥワ、そしてキャンディ)

 何がオフなのかわからないまま、シーズンオフのヒッカドゥワ。
 欧米人が好みそうなキラキラ、ガチャガチャ系のレストランはクローズドだったが、こじんまりした食堂やお土産屋、日用品が揃う雑貨店などは営業していて困ることはなかった。というよりむしろ、静かで穏やかでのびのびできた。

絵に描いたような浜辺

 朝、誰もいないビーチを散歩して、誰もいないLOTI  HOUSE でロティを食べる。アボカド&ハニーロティ、最高。 
 それから、誰もいない海に浸かったり、バススタンド周辺を散策したりして、午後遅めに COOL SPOT(たまに先客がいる)で日替わりカリー定食。 
 到着した日に入って、すごく美味しかったから、もう、毎日、ここ。

ボリュームありすぎ。右上のアボカドミルクシェイクは別腹。

 ある日、ビーチでダイビングショップの店員に声をかけられた。何もいらないと答えると、オーケー、どうせもうすぐ忙しくなるから。と、まったく商売っ気がない。オンとオフではそんなに違うのか。何が違うのか。尋ねてみると、
「空に雲がなくなって、にわか雨や雷もなくなって、そうしたらね、波がまっすぐ美しくなるんだよ」
 波がまっすぐ、美しく。なるほど。
 そして、
「あと1週間ぐらいで波が変わる。11月には世界中からツーリストが来る」とのことだった。

 バスが頻繁に走っていたので、隣町のアンバランゴダや終点ゴールへも足を延ばした。

運転席。お守りだらけだから安全。というわけではない。


 ゴールは大きな街で、旧市街、城郭街は興味深く、新市街はインドのマドゥライに似た賑わいだった。初めての食べ物、飲み物もあって興奮する。「謎のマサラぜんざい」とか。 ↓

 いやはや、おもしろいなスリランカ。
 キャンディで「こことは相性悪い・・・」と、熱出して鼻かんでた数日は何だったんだ。ナカオカ先生と助手にビーサンとアロハとかお土産にして、もう一度キャンディを訪ねようかな。なんて気にもなっている。

 なっていたのだけど。
 1週間ほど過ごしたある日、両替のために訪ねた旅行代理店で、リコンファーム代行サービスの張り紙を見た。それに、エアポートタクシーなんてものでコロンボへ戻らず直接空港に行けることもわかった。さすがツーリストエリア、至れり尽くせり。
 そうするとキャンディへ戻るのはちょっと億劫・・・。

 揺れる心で LOTI HOUSE へ朝食を食べに行く。
 すると、ええっ? 全品値上がりしていた。前日より20〜100ルピーぐらい高い設定に変わっている。あからさまにオンシーズンが始まったのだった。

 ホテルへ帰ると、いつも笑顔の受付嬢に、エクスキューズミー、あなたはいつまで滞在予定?と、にっこり呼び止められた。まだ決めてない、と言いかけて、はっとする。オンシーズンだ。
 わたしはオフ料金で泊めてもらってるから、値上げか、或いは予約が入るから出ていけってことかも。

 急に、どうでもよくなった。
 旅の途中で衝動的にやって来る「めんどくさいからやめとこ」が、来たのだ。
 これまでの旅でもときどき、なんかもうめんどくさい・・・って、予定を変更して行かなかったり素通りしたりした地がいくつもある。

 受付嬢に向かって「明後日、発ちます」なんて答えてしまった。
「オーケー(にっこり)」
 
 そう決めたらもうコロンボからキャンディ、或いは高原地方なんていうのも面倒になった。帰ろう。バンコクへ。
 いつものバスでゴールへ出向き、スリランカエアのゴールオフィスで復路便を変更した。ヒッカドゥワを出るついでにスリランカからも出ちゃう。
 ホテルの近くの旅行代理店でエアポートタクシーの予約も済ませて、帰り支度をずんずん進める。ごめんね、キャンディの小学生たち、ナカオカ先生と助手。

 こうしてオンシーズンの、世界中からツーリストが集まるヒッカドゥワを見ないまま、バンコクへ戻り、しばらくぶらぶらして日本に帰った。

 スマトラ沖大地震が起こったのは帰国して1ヶ月ほど経った頃だ。
 いくつもの国で多くの町が津波にのまれ・・・というニュース映像で目にしたのは、なんとスリランカ、ゴールのバススタンドだった。バスが、バスが、ぶかぶか浮かんでいる。スリランカエアのオフィスは? ヒッカドゥワは? アンバランゴダは? 言葉が無い。
 地球の怪力は残酷すぎる。 

 そんなこんなで、なんとなく訪れたわりには強く印象に残るスリランカだ。
 のちに、憚りながら日本語を教える身となったのは、ナカオカ先生とニッポンクラブに背中をどんと押されて、のような、そうでもないような。

 先生、助手、お元気ですか?


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