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『ニューオーダー』

粗筋 

 メキシコ、高級住宅地。マリアン宅には名士が続々と集まり、彼女の結婚を祝していた。だがどうも、巷では暴動の波が吹き荒れている模様。多数の警備兵で固めているマリアン宅にさえも、遂に暴徒が侵入し…。


 余白が多いだけに、何とも評価の難しい一作だった。ジャンルとしてはディストピアものとなる。

 第一幕は、マリアン宅での幸せそうな宴会風景だ。これがまあ20分以上ダラダラ続くし、ここでの人間模様が後の伏線にもならないので正直退屈ではあるのだが、貧富の差のディティールはしっかり描かれている。
 白人=金持ちと、有色人種=使用人の差は歴然だ。名士たちは社交・淫楽・遊興に耽る一方、使用人は男が警備・女は家事にと忙しく立ち働く。だが、使用人らは面従腹背で雇われているのも明らかだ。彼らの手引きがあったからこそ、暴徒らはマリアン宅に侵入出来た。暴動は貧民の身勝手さではなく、失望と怒りによって齎される。

 第二幕では、暴動が局所的なデモから社会全体へと波及する。このシーンの楽しさは、胸糞さにある。善人ばかりが割りを食うのである。
 第一幕では、マリアンは暴徒らと対面していない。かつての使用人の窮乏を聴き、家族の反対をおして助けに向かったのだ。善意によって辛くも虎口を脱したかに見えたが、彼女の地獄はここから始まる。腐敗した地方軍部に誘拐され、身代金を効率よく引きだすべく拷問され、夜ごと慰み者になる。
 他の善人についても、同様だ。マリアンの従僕、クリスチャンは危険を承知で付き従った挙句「おまけで」殺され、病身の妻を思いやる元使用人も無下に射殺される。
 暴力の嵐が吹き荒れるなか、身を潜めていた者はちゃっかり生き延びるあたりも小憎らしい。

 第三幕では、事態の収拾が描かれる。地方軍部の腐敗を知った軍上層は、解決を決意した。隠ぺいである。組織的誘拐に手を染めた兵士は当然として、被害者らも皆殺しにした。(パンフ曰く、この辺りは『43人事件』の影響が大きいとのこと。)


ラストは、地方司令官の処刑で締めくくられる。「一件落着!」とばかりに軍高官の顔は晴れやかなのだが、据わりは非常に悪い。彼の隣に座るマリアン父は呼吸器が手放せない体となり、メキシコ国旗は逆向きにはためく。

エンドクレジットでは、アルファベットの一部が逆向きになった奇妙な文字列が並ぶ。ニューオーダー=「新秩序」となった世界は、元の世界とは決定的に変わってしまったのだ。


 ディストピア寓話として観るなら、一定の面白さはあるだろう。だがメキシコを舞台にした映画となると、話が変わって来る。お国柄が…端的に言えばカルテル描写が一切ないのが気になるのだ。

 不法入国、麻薬、誘拐、殺人…。米墨両国を跨ぐ犯罪に、カルテルは深く係わっている。この映画、市井の犯罪は前半に限られ、後半は専ら軍の戒厳令・横暴のみに話が傾いていく。軍がこんな簡単に事態を掌握出来るなら、メキシコにカルテルなんて存在しないだろう。

『カルテルランド』というドキュメンタリーがある。カルテルの支配に抵抗する「自警団」が描かれる。彼らの活躍により一時は平和が訪れたが、組織の拡大によって今度は別の問題が持ち上がる。組織維持のため住民への脅迫・暴力が常態化し、カルテルとの癒着も発生する。彼らもまた、カルテルと変わらぬ存在となってしまったのだ。
 メキシコの闇はここにある。カルテル・政府・自警団は抗争のみならず派閥争いや処世のため、複雑に絡み合う。単純な「巨悪」とやらが居るのではなく、暴力が無限連鎖していくのだ。それを思えば、今作は「体制VS人民」の二項対立に単純化されてしまっている。


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