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『死刑にいたる病』

粗筋
 24人を殺した殺人鬼から、手紙が来た。鬱々とした日々を送る大学生、筧井雅也は拘置所での接見に赴く。昔と寸分変わらぬ柔和な物腰で、殺人鬼の榛村大和は話を始めた。
「僕は確かに連続殺人鬼だ。けれど立件された9件のうち、最後の1件だけはやってない。君が真相を探ってくれないか…」。雅也は、殺人鬼の冤罪を晴らす旅に出る。


 盛り上がりも消化不良感も『凶悪』と同じ、M中です。

 作品概説と前置き

 原作は櫛木理宇の同名小説…なんですが、映画のみで話をしていきます。というのも、白石和彌作品(特に犯罪もの)には通底するテーマがあるからです。それは底流/悪党たちの意地と狂気。原作のある『凶悪』『日本で一番悪い奴ら』『孤狼の血』にしても、オリジナルの『サニー』『凪待ち』にしても、それは同じ。なので、飽くまで「白石和彌映画」として語って行きます。

獄中からの協力

 獄中の殺人鬼と接触し、事件を追う映画…。何といっても『羊たちの沈黙』が有名ですし、監督の出世作『凶悪』にも通じます。が、今作が特異な点は、犯罪を追うという行為が主人公のアイデンティティーと深く結びついているところでしょう。
 雅也にとって、大和のパン屋に通っていた中学時代は人生の春だった。自分を深く理解してくれる人が居て、親の期待通りに名門高校にも合格出来た。そこから空白の5年があり、20歳を超えた今はFラン大生になった挙句友人さえ居ない…。だからこそ事件の捜査は、恩人との再会であり、(法学部生にとって)キャリアの足掛かりであり、人生の転機である。雅也が何故この依頼を引き受けたかが、説得力を以て提示されています。

巧みな演出

・雅也と両親の微妙な緊張関係:通夜の表情、偲ぶ会の打ち合わせ
・彼の鬱屈:大学キャンパスでの歩き方
・捜査への熱意:資料と取材の凝りよう(及び大学生活との対比)
雅也の事情を、非常に手際よく映像に落とし込めている。

 社会派邦画では李相日とか特にやたら泣き喚いて心内吐露すれば感動だと思ってる勢力が居ますが、そういったブサイクさとは無縁。時系列通りに動いて、ドラマを停滞させず、人物への理解が徐々に深まっていく。流石の手腕ですね。

墨に染まれば暗黒

 深淵を覗けば、覗き返されるもの。雅也も極悪人と深く係わることで、感化されていきます。
 世を拗ねるのを止めて訥弁なりに人と付き合う、論理的に物事を考える、自分の意見をきちんと表明する…。出だしこそ好調だったものの、物腰や声色、果ては他人の「操縦」に至るまで、彼は大和に酷似していく。

ブライアンシンガーの初期作

 こういったジャンルの映画は『ゴールデンボーイ』や(晃士の方の)白石監督作にもあるんですが、今作はもう一ひねりある。大和こそが、雅也の実父ではないか…という疑念が徐々に高まっていくのです。
 ここでも、伏線提示が上手い。生前の祖母の職、両親の態度が時間差で回収される。飽くまで捜査の過程で見せ、時間を割かない辺りもスマート。

獄中問答

 という訳で1時間半までは大変面白く観た…のですが。残り45分で突然つまらなくなる。大和と雅也が面会室で向き合い、重苦しいトーンで「冤罪」について問答するシーンがえんえん続く。
 殺人鬼と探偵の問答、食い違う証言…まさに『凶悪』でもあった下りです。『羅生門』的な「他視点ミステリー」だと褒める向きもあるでしょうが、今作が採るべきアプローチとは僕には思えなかったです。

獄中協力ジャンル

『レッドドラゴン』や、最近では『暗数殺人』もありましたが、この手の映画は獄中にいながらシャバを操るところが面白いんですよ。厳重監視をすり抜けて心酔者を指嗾する、担当刑事の信用を失わせて無罪に持っていく…。人心を巧みに操り有利に事を運ぶ頭の良さに、不謹慎ながらカッコよさを感じてしまう。

 対して、大和がやることは、(17,8才限定のロリコン殺人鬼のため)
「『殺し損ねた元標的を、他の元標的に殺させた』と雅也をミスリードさせ、無実の男性を犯人に仕立て上げる」というもの。
…いくら何でも迂遠過ぎね?雅也が辿り着く保証はないし、『羊たちの沈黙』みたく、意味深アドバイスで誘導する節もない。
 しかもこれなら、雅也に頼む必要がないんですよ。何故なら社会的信用のある人間ではないから。看守さえも籠絡する超絶人たらしなのだから、弁護士や記者などを操るべきでは?雅也を動かすのならせめて「推定真犯人」を殺すよう仕向けるとか、初心なガキならではの操り道が欲しい。

羅生門的なアレ

 シリアルキラーがモチーフの「他視点ミステリー」では、一昨年『テッドバンディ』がありました。

この映画はラスト5分まで、殺人風景は映らない。だからこそ「こんな魅力的なテッドが、果たして殺人なんて起こせたのか?」とモヤモヤが続く。だからこそ、無言の告白で一気にカタルシスが生じる。

対する今作、「冤罪」に関しては論理的・物理的な証拠がないんですよ。大和は人格攻撃を、雅也は「推定真犯人」の証言を基に論破合戦やってるだけ。だから何となーく雅也が正しい雰囲気を出されても、大和が口喧嘩に負けて拗ねてるだけに見える。
『ユージュアルサスペクツ』みたいに、煙に巻いて終わる映画はあっても良い。でもこの映画は、序中盤は証拠・つながりをコツコツ積み上げる、怜悧なミステリーでやって来た筈。それなのに終盤でロジック的な結論を付けてくれない。その癖、ラストでツイストを利かせてミステリーに戻ろうとする。一貫性がなくて、消化不良感が残ってしまうのです。

これもブライアンシンガー作品

 拘置所の受付手順然り、ディティールは大変しっかりしている。阿部サダヲのサイコパス演技も素晴らしい。これでミステリーとしてもキレッキレだったなら…。白石和彌の持ち味だと言われればそれまでなんですが、画竜点睛を欠く1作に思えました。


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