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特撮門外漢が語る『シン・ウルトラマン』

粗筋

 敵性大型生物『禍威獣』に日本は襲われた。政府は防災庁を設置、禍威獣に対抗すべく専門チーム「禍特対」を設置した。
 首都圏郊外に、透明禍威獣「ネロンガ」が出現。米軍の支援が無駄に終わるも、銀色の巨人が降り立ち熱線で粉砕する。「ウルトラマン」と名付けられた外星人の調査が続けられる中、禍特対メンバーの神永は不可思議な行動を取り始め…。

前置き

 B級寄りの映画オタクでは少数派だと思うんですが、僕は特撮をほぼ観たことがありません。映画では本田猪四郎作品をいくらか、平成ガメラ3部作、飛んで『シン・ゴジラ』だけ。テレビに至ってはウルトラ・戦隊・ライダーどれ一つとして見ていない。『トクサツガガガ』とTBSラジオで義務教育を終えたものの、特撮リテラシー最低辺の人間です。

 何で前置きをするのか。界隈の内外で完全に評価が二分されているからです。特撮ファンは大絶賛、一方の外野は貶す状況。そんな中、門外漢の感想としては…「良いとこもあるけど、映画としてはクソ詰まらん」です…。さーせん!
”浅い”ヤツには理解できないかー、くらいのスタンスで以下読んでやってください。

特撮ネタ

 冒頭からネタ満載です。初代OPのウルトラQ→ウルトラマンを模したシンゴジラ→シンウルトラマンクレジットに始まり、懐かしの宇宙人(外星人)を懐かしの劇伴で彩る。科学特捜隊/禍特対などの語呂遊びや、流星バッジを模した禍特対バッジなど小道具にも凝っている。
 肝心のウルトラマンも、ルックスからして懐かしさに溢れる。左右非対称のブサ顔、光沢のある体表、ゴムスーツのように「皺」がよっている肩/肘/手首の可動部…。光線や電撃は敢えて合成感のあるチープな表現にし、飛行シーンでは人形を糸で釣ってるような直立不動ポーズを取る。
 門外漢からすれば「おー、やってんなー」位のものだが、熱心なファンなら狂喜するのは確かに分かります。「『大怪獣のあとしまつ』の後始末」と言われていますが、愛があるのは嬉しいですよね。

アクションシーン

 一歩引いて観た僕でも、アクションシーンでは目を瞠るものがありました。このウルトラマン、足音がしないんですよ。

 往年の特撮を意識した、新たな時代の作品があります。『パシフィックリム』や「モンスターバース」作品群、アニメではTRIGGERの「GRIDMAN UNIVERSE」が新しいでしょう。
 それらの作品では体型がずんぐりしてたり、ゴテゴテしたパーツや突起が付いていたりとビジュアルで「昔っぽさ」を醸している。しかし同時に、重さ表現でリアリティを追求もしているのです。

  今作には重量感がない。踏み出す時の地響きとか、敵の光線を受けての後退りや、ジャンプした時の粉塵表現がない。でも、それが却って似つかわしいように思うのです。何故なら、巨大のみならず人間サイズの外星人が出るから。
 言葉が悪いですけど、特撮怪人ってバカっぽくないですか?海老や昆虫みたいな外見してるし、皆ご丁寧に日本に来て日本語喋るし、「原子番号133~」のような地球人基準の設定披露するし。でも、アクションにリアリティがないことで却って、肯定されると思うんです。既存のスケールで測れない超常的なものに見える。
 高速飛行から急制動したり、空中で静止したあと大車輪回転してキックかましたり…。物理法則をまるで無視した動きが出ると、ゾっとさせられる。思い入れのない身としては、幽霊モノに似た楽しみ方が出来ました。

人間ドラマがお粗末極まる

 褒めパートは終わったので、以下クサします。樋口監督、本当にドラマパートが下手だよね。

ト書きダダ流し台詞

「彼は私達を守っているんだわ!」
「ガボラの死体を持ち上げて何を…?」
「そうか、死体があると放射線で汚染されてしまうからだ。一帯の線量が低下していってます!」
「最後のアイコンタクト、あれは間違いなく合図よ」

対ガボラ戦

 馬鹿か!庵野に渡されたト書き脚本を、そのまま映像に置き直すんじゃねえ!役者の演技だけじゃなくて、編集とカメラワークで映像的に物語を提示するのが映画だろうが!!
”禍特対を背後にウルトラマンが両手を広げる→ガイガーカウンターの反応が収まる→アイコンタクト”でスマートに済ませろや!!

「こういう台詞回しが特撮なんだよ」って言われたら仕方ないですが…でもこれテレビドラマじゃないですよ?しかもファン向けのイースターエッグを散りばめているように、明らかに高い年齢層をターゲットにした作品ですよね?表情だけで間接的に伝えるシーンは皆無、こんな画面読み上げが2時間続く。…さしもの特撮ファンとて辟易するのでは?

危機感のない禍特対

 仮にも、お前ら地球の存亡を担ってるんだよな?なら一刻一秒を争う事態で、下らん身内会話止めろや!
 偽ウルトラマンがビル街潰してんのに、神永=ウルトラマンをビンタして愚痴を垂れる。いや、毎秒単位で人死に出てるでしょうが!せめてエヴァの第三新東京市みたいに、無人の戦場を用意せぇよ!
 ラストの対ゼットン戦でも、一兆度の天体破壊爆弾チャージしてるのに廊下をぺたぺた歩きながらブリーフィングする。これもさ、「ゼットンの予想行動開始時間まで、残り10分!」みたいな描写一個入れれば済む話じゃない?
『日本沈没』『隠し砦の三悪人』『進撃前後編』などなど…樋口作品の人間って、プロ(映画進撃の設定は作業員らしいが)の癖に危機意識低すぎじゃない?巨人が近くにいるのにアンアンし始める前作から、何も進歩していない…。

繋がりの薄いストーリー群

 描写の積み重ねが薄い、というか無い

(TVドラマから)5本のエピソードをチョイスして、単純に数珠繋ぎすれば映画になるかといえば、そうでもないんじゃないかと。そこは脚本の庵野秀明が、30分でしかできない物語を繋ぎながら、ちゃんと2時間の映画としての収まりどころを含めて、見事に形にしてくれました。

パンフ25ページ

そうかな??外星人を前々から出すとか、一度やったアクションや遣り取りをスケール・状況変えて繰り返すとか、何より禍特対とウルトラマンの絆が徐々に深まる過程を見せるとか、そういう映像的工夫ないじゃないですか。
 これ「ウルトラマン登場」「ザラブ暗躍」「メフィラスの提案」「ゼットンとの死闘」てな感じで、30分単位で4個並べてるだけですよ。
 外野からすれば『Stand by me ドラえもん』と同レベルに思えます。鉄板エピソードを並べれば、即「ウル泣き」になるのなら。

ウルトラマンの(人間的)成長がない

 前半で、レヴィ・ストロースの『野生の思考』が引用されます。科学的西洋人≒高次元のウルトラマンが、未開社会≒地球人の利他精神に心動かされるって話なんですよね?その割に、ウルトラマンの価値観が(禍特対との交流によっては)揺り動かされないんですよ

 確かに、(生前の)神永隊員の挺身によって、ウルトラマンは「非論理的行動に興味を持った」と言います。でもこれ、冒頭なんですよ。禍特対とそれを取り巻く人間社会との交流で、彼の考え方が変わっていくのではない。聖人一人に感化されただけ。
 ベタな仮定なんですが、効率的なために非人道的な考えを前半でウルトラマンが示すべきでしょう。禍威獣との戦闘で巻き添えが出るが、神永=ウルトラマンは「多くを救うための、仕方ない犠牲だ」と恬淡と応える。それをバディの浅見が「そういうことじゃない!」と叱責する。そうすれば、ゾーフィーがゼットンを放つ理屈である「地球人は、宇宙全体にとって危険になりうる」への反駁として伏線になるじゃないですか。ジレンマに直面した時に、効率ではなく最良を目指すのが道徳なのだと。

 そしてウルトラマンの人間的成長を、言葉ではなく映像的な描写で提示してこそ映画でしょうが!
 ゼットンとの再戦を前に、ウルトラマンは滝隊員にβカプセルの原理を資料で残しています。それなら手前で、(神永の世間知らずぶりに)滝が手助けする下りがあれば、恩返しとして効いてくるでしょうが!!
 折角、
「コーヒーどうぞとかって言えないの?」
なんて美味しい前振りがあるじゃない?なら後々で、神永がコーヒー差し出す描写入れろよ!!資料の追記で「これを役立ててくれ」と指示があり、下の引き出しを開けたら缶コーヒーが4本あるとか!!
 堅物アスペだったウルトラマンが、ちょっとしたユーモアを見せればこそ成長が実感できるってもんでしょ!!大義名分と共に、バディ始めチームとのちょっとした絆の深化も見せる。それこそがヒーロー映画の楽しさだと僕は思います。

 異性のケツを叩いたり臭いを嗅ぐのがバディ描写だというのなら、その価値観は昭和レベルだよ。


  画作りに関しては、樋口監督やっぱ天才ですよ。亜空間から手が掬い上げて変身する、互い違いに回転する二重輪が展開されゼットンになる…。ノータッチ勢の僕でさえ、血が沸くのを覚える。

パンフ28p

でも同時に、ドラマがクソなのも安定の樋口監督なんですよ。特技監督に収まるか、演出周りは別の人に任せるとか…。スゲー映像だけ、魅せて欲しいな。


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