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子育ての隣に本④ (誠実な)映像化希望!『君と宇宙を歩くために』

最近1巻が発売されたばかりの『君と宇宙を歩くために』(泥ノ田犬彦、講談社)。
私が行った書店ではかなり目立つところに平積みされていて、版元側の「売るぞ!!」という並々ならぬ意志を感じました。
その心意気や良し! ほんとにすてきな話なので、売れてほしいです。
少々気が早いかもですが、映像化もされてほしいな。

(……と書いていたのですが、2024年1月下旬に起こってしまった『セクシー田中さん』の原作者の方の一件を受けて、「映像化されるのは、まずは物語が無事最終回を迎えてからでいい」と思いました。まずは原作者の方が、心も体も安全な状態で走りきれることが何よりも大事だと思います)


息子の療育通いを始めました

いきなり私事ですみませんが、この本が出た少し前、2023年11月の初めから、息子の療育に通い始めました。

これが息子には合っていたようで、今までは何かにつけて「ぼく、できない」「へただからやめとく」と言っていた彼が(はさみやお絵かき、ボール遊びなど、手先や道具を使う作業全般が苦手です)、療育ではお友達と一緒に工作に挑戦するなど、違った顔を見せてくれています。

普段通っているこども園のことも息子は大好きなのですが、最近「周りと同じようにできない自分」にも気づきつつある様子でした。
そんな中で始まった療育では、自分や自分と似た子たちのペースでいろんなことに取り組めるので、ささやかながらも自信を取り戻せているように見えます。
あと、親としても、知識を持った人たちと話せる機会がありがたいです。


平成半ば、「発達障害」という言葉がまだメジャーじゃなかった頃の物語

そんなわけで令和の世の中は、発達っ子を支援する仕組みや、当事者や周囲の人(家族や支援者)に役立つ情報などが昔に比べると充実してきたように思います。
でも、こういう仕組みや概念ができるずっと前から、息子のような子どもたちはいたのだと思うと、胸が痛みます。子も親も、今以上にしんどかったんだろうな……。

で、今回紹介したい『君と宇宙を歩くために』は、まだ「発達障害」という言葉がメジャーではなかった平成半ばくらいの日本が舞台です(登場人物の言葉は今風ですが、持ち物がガラケーだったりウォークマンだったりしているので、2000年代くらいのお話じゃないかな)。

もし令和あるいは平成後期の世の中なら、主人公の小林は境界知能(知的ボーダー)、彼の親友となる転校生の宇野くんはASD……といった名前とともに語られるのかもしれませんが、まだそうした概念が広く知られてはいなかった時代のこと。
宇野少年は自身の名も無き生きづらさを「一人で宇宙にいるみたい」「上手にまっすぐ歩けない」と表現しています。


まっすぐに描かれた友情が尊い

ちなみに、この『君と宇宙を歩くために』ですが、私は『二月の勝者』の作者の高瀬志帆先生のX(旧ツイッター)の投稿で知りました。
この投稿をはじめSNSでバズりまくり、ウェブに掲載されていた第1話は約60万人もの人に読まれたそうです。

なぜそれほどに支持されたのか?
「発達障害」がテーマに扱われていたから?

……というよりは、この作品は優れた物語に欠かせない王道テーマ、「出会い」や「友情」というものを正面から捉えていて、そのまっすぐな描きぶりが心にしみるからじゃないかと思います。

ぐっとくる場面が多い本作ですが、1巻の終わりのほうに、本作のメインテーマかな?と思えるような大好きなシーンがあります。

宇宙好きな宇野の影響で空を見上げるようになった小林が「空に浮かぶ小さい点が、実は点ではなくて大きな星だったのだと気づいた」と天文部の顧問の先生に話す場面です。

ある出会いをきっかけに、これまでスルーしてきたものが、まったく別の意味合いをもって見えるようになり、日々の風景が違って見えてくる。これって、他者と出会うことの醍醐味だと思います。

そして、点だと思っていたものが点ではなかったことに気づけるような出会いが、救いや勇気をもたらしてくれるというのもいいなと思います。

物覚えと要領が悪い小林は、努力と工夫で生きづらさを改善しようとする宇野と出会って、自分の生きづらさにも対処の余地があるのではないかと気づき、投げやりだった自分を変えたいと一歩を踏み出します。

一方、これまでずっと孤独だった宇野は、自分をのことをばかにしなかった小林と出会って学校を楽しめるようになり、小林が見つけてくれた天文部に入部して、人間関係を広げるきっかけをつかみます。

互いとの出会いを通じて、二人の世界の見え方はそれぞれ変化し、結果、自力では抜け出せなかった場所から抜け出せるようになるのです。

このささやかな奇跡が起こる舞台を平成にしたのは、すごくいい効果を生んでいると思います。
「発達障害」という言葉がメジャーになった現代を舞台にすると、小林や宇野が記号化されやすくなってしまうだろうし、物語が説明的になりそうな気もします。
そうした危険性を排し、枠からはみ出てしまう二人の友情にフォーカスしたことで、『君と宇宙を歩くために』は、より多くの人の心を打つ物語になったのではないかと思います。


『セクシー田中さん』『作りたい女と食べたい女』でも描かれた「出会い」という奇跡

ある人との出会いを通して「点に見えていたものが点ではなかったこと」を知るストーリーは、最近だと『セクシー田中さん』(芦原妃名子、小学館)や『作りたい女と食べたい女』(ゆざきさかおみ、KADOKAWA)にも見られます。

田中さんと朱里の間で育まれるのは友情、野本さんと春日さんの間に芽生えるのは恋愛感情といった違いはありますが、どちらも出会いを通じて新しい視点を獲得し、自分を縛っていたものから救われていくところが共通しています。

両作品ともドラマ化されていますが、どちらもキャスティングが完璧で、めちゃくちゃ面白いですよね! 何より、見たあとに元気になれるところがすてきです。

この流れに乗って、次にくるのが『君と宇宙を歩くために』だといいな。
そして、いろんな人のいろんな大変さに対する理解と共感が広がるといいな、とひそかに期待しています。

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