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【音楽②】1000年後に聴こえ方が違う曲?

millenium paradeというバンドの2992という曲がある。
King Gnuの常田大希氏が、この曲が自分が生まれて1000年後にもあると面白い、というコンセプトで作った曲だそうだ。
この曲の良し悪しは正直わからないが、非常に興味深く感じている。

この曲の特徴としては、非常に音の重なりが多い。音の種類が多いので、聴覚の普段使っていない部分が刺激されるのか、聴くと若干疲労感を感じる。音楽というより、風を感じている感覚に近い。聴覚の限界に挑んでいるのかもしれない。

今1000年前から継がれている音楽がどんな曲か。はっきりとはわからないが、想像するには、おそらく口伝できる(=誰でも口ずさめる曲)、歌詞の中に伝承する必要のある情報が含まれている曲、普遍的な内容で人々に感銘を与え続けている曲、最低限ずっと存在している楽器類で演奏できる曲、のどれかではないかと思う。それにまず大前提として、相当多くの人に認知され、親しまれている必要があると思う。そして、この2992は興味深いことに、そのどれにも該当しない。

もちろん、常田氏がそれを承知していないわけはない。これはおそらくわざとだ。この曲を1000年後に、という意味を自分なりに考えてみた。

結論からいうと、これは多分、情報処理への挑戦なのではないか。
やれビッグデータだのと言われているが、この大きなデータの処理はもっぱら多くの情報の中から必要な情報を取り出すことや、情報の縮約をして情報量を減らすか、データマイニングをして、理解できる形に落とし込むか、という方向に一貫していると思う。情報が多くなって、より多くのことが理解できるというよりは、たくさんインプットしておいて必要な情報だけをうまく取り出せることが良しとされている。

これを音楽で言うならば、情報量でいえば、一度に処理できて脳内で音楽として構築できる量には限界がある。どれだけ多くの音を重ねても、結局音楽として成立させられているのは、ごく一部の音に過ぎないはずである。また、オーディオ上の限界もあり、耳に届く音にも制限があるため、音を重ねて音楽的に効果的に働いている音がどの程度あるかは甚だ疑問である。

常田氏は、この点を充分に理解した上で、オーディオが発達して可聴音が増えることで聴こえ方が変わる、そういう曲に挑戦したのではないか。
さらには、含まれる各音が果たしている役割が、情報処理技術の発展によって詳らかになったり、多角的に解析されて全く別の曲として聴くことができる、といった、時間が経って、音楽そのものではなく周辺技術が発達することで音楽が拡張していく、そういう発展性を期待しているのではないか。そういう時のための素材として、作ったのではないか。

そして、今は誰も理解できないが、未来に向けてタイムカプセルのようにギミックが仕込んであるのかもしれない。私の耳では今は「風」として認識されている音が、鮮やかに意味をもって語りかけてくる日がくるのかもしれない。

…まずはもう1000年、人類をこの世に残す必要がありそうだ。


2022/7/9 追記
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