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僕の愛は爆弾〜My Love is Bomb〜

これは、ゆうゆうさんのこの刺激的な記事を読んだ僕のコメントに対するゆうゆうさんの回答に触発された記事です。

僕のコメント
ゆうゆうさんの回答


全く頭は整理できてないけど、なんだか書きたくて仕方がなくなったのだ。

というのも最後のゆうゆうさんの問いかけは、すごく重要なものだと直感したから。

そして、これに答えることは、とてもチャレンジングなことだと思ったから、この記事はゆうゆうさんからの挑戦状への回答でもある。

1.愛なき世界と愛ある自分
こう書くと、なんか自分だけいいヤツで、かつ悲劇のヒーローみたいに聞こえるだろうけど、実際、そうなのだから仕方ない(笑)

まあこのような自覚がはっきり芽生えたのは、今年に入ってからの話だけど。

まず愛なき世界について…

僕の記事の読者ならご存知だと思うが、今年に入ってから、公私共にかなりの苦難が私達家族に降り掛かってきた。

このとき、先生、お医者さん、職場の上司など周囲の人々に切実に自らの窮状を訴えてきたけど、親身になって話を聞いてくれた人などほとんどいなかった。

ほとんどの人たちは自らの御高説を述べて悦に入っているだけだったし、ひどい場合は、こちらが弱ってるのをこれ幸いにと、ひどい嫌がらせをしてくる輩までいた。

まさにこれを愛なき世界だと言わずになんと言おう。

もちろんわずかにだけど、親切な人たちがいてくれたおかげで、なんとかやってこれたのは事実だけど、俯瞰的にこの世界を眺めたら、やはり

愛なんかせいぜい黒ごまがまばらに散ってるくらいしかないのではなかろうか。

もうひとつ愛なき世界だと感じたのは、これは主に仕事を通じた実感だけど、本当に上も下もドイツもコイツもこの世はとかく

考えない人たちばかり

だということだ。それがなぜ愛なき世界と関連するかと言うと

僕は、考えることは愛することだ、という持論の持ち主だからだ。

人間は真剣に考え抜くことで、初めて自分のことを理解でき、その結果、自分とこの世界のことを愛せるはずなのに、みんなこの大事な考えることを回避し続けているから、いつまで経っても自分を愛せずにいつしか豆腐メンタル小僧に化けて、自分を愛してくれない世界を呪い始めるのだ。

そんな妖怪★かまってちゃんたちが大勢を占めるこの世界は紛れもなく

愛なき世界

だよね。

思考停止した頭で、かつ💩みたいな垢だらけの色眼鏡をかけて愛なんか見えるわけあるかい。

かたや、愛ある自分について…

公私共に降り掛かった困難を前にして、とにかく僕はひたすら考えた。

どうしたら息子の笑顔を取り戻せるか?と。

でも、僕の考えはそれにとどまらなかった。

なぜなら、いつの間にか、考えること自体がどんどん楽しくなってきたからだ。
実際、考えれば考えるほど、脳がドキドキ・ワクワクしながら踊りだすのを感じていた。

そして、昼夜問わず脳をフル回転させて考え続けた結果、気づいたら僕は常人の10倍くらいの膨大な量の仕事をこなしていた。

これが僕がこの一年で提出したレポート。もちろん量だけでなく、中身もべらぼうに面白い

でもそれはあくまで結果論であって、これで誰かに評価されようなどとは一切自考えなかった(実際、たいして評価もされなかったしね)。でもひたすら自分という鉱脈を掘り進めるようにドキドキワクワク考え続けていたら、いつしか

自分の下腹部あたりに

生命の炎がメラメラと燃えている

ような感覚がし始めた。

そして、

これこそが愛なのかもしれない

とこのとき直感的に思ったのだ。 

そう、愛とは単なる生命であり、愛することとはすなわち、自分の中にその生命を認めることなのだ。

というわけで、こんな意味不明なことを自信満々に言える僕は間違いなく

愛ある人

だよね。

2.愛なき世界で愛ある僕らがやるべきこと

この令和の愛なき世界で愛の代わりに幅を聞かせているのは言うまでもなく

金と共感

である。

幅を利かせているというよりも、これらに支配されているという言い方のほうがより正確かもしれない。

だから愛なき人々はぽっかり空いた自分の心の穴を埋めるために、お金を稼ぐことと登録者数やフォロワー数を増やすことに躍起になる。

しかし、このような世界で成功できるのはごくごくわずかで、ほとんどの人は失敗する。

そして、みんな不貞腐れる(笑)。

そんな不機嫌なラブレス帝国で、エロテロリストならぬ、ラブテロリストな僕たちがやるべきことは、すなわち、おのおのの持ち場でひたすら

愛の爆弾

を投げつけるゲリラ活動を繰り広げることに他ならない。

ちなみに普通の爆弾は人を殺すけど、

この爆弾は、人を生かすのが特徴だ。 

そう、爆発した瞬間、自分の生命のかけらが飛び散って、それが刺さった人の心を生き生きとさせる爆弾。

しかし、残念ながら、この愛の爆弾はほとんど不発弾に終わる。

というのも愛の爆弾は、愛を感知できる人、もしくはその萌芽が心の中にある人の前でしか炸裂しないからだ。

だから、僕はとにかく大量の愛の爆弾をばらまくことに専念してきた。

僕が自分の仕事を必ず企画書やプレゼン資料、データベースなどずっと残り続ける成果物としてまとめているのはそのためである。

今の世界では黙殺されたとしても、時を経て、愛ある人の魂を震わすことは絶対にあると確信しているのは、その経験が僕自身にあるからだ。

そう、今から約100年前に茨木の貧農生まれのK氏が作った愛の爆弾は見事、僕の目の前で炸裂した。

そして、僕がこの愛なき世界で数々のドイヒーな目に会いながらも悲観的にならずに済んでいるのは、この世界は人間が生まれてから、形は違えど

ずっと愛なき世界だった

という認識があるからだ。

そして、今の世界は決してベストとは言えないけど、ある部分においては確実に進化を遂げてきており、さらにその担い手たちの多くがおそらく

愛ある人たち

だったという事実がくじけそうになる僕をいつも力強く励ましてくれる。

確かに僕らは多勢に無勢だし、理不尽な思いに歯ぎしりすることばかりだけど、夜空にまたたく星のように、この真っ暗な愛なき世界で愛する人が点々と散らばることで、きっと人間は終わりを迎えずに済んでいるのだと思う。

まあ、この話を読んだところで金持ちにも人気者にもなれないから、全然読み飛ばしてもらって構わないけどね。
 
しかし、もしこの話にピンときた通りすがりの資産家の方がいたら、愛とユーモアにあふれる僕と僕の友達に出資してみてはいかがでしょうか?

僕らの愛の力でこの世界を局地的に面白くしてみせまっせ!  

と、最後に赤の他人に金の無心するという、我ながらまさかの展開(笑)

まあ今回僕が一番言いたかったのは、僕らがその気にさえなれば

自分の生命は決して自分の人生だけで終わらない

ということかな。

だから、お互いまだまだ頑張ろうぜ!

なあ、ゆうゆう同志!


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