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ダメでもいいんだよ、きっと

文章が面白い

とか

頑張ってるそのひたむきな姿に励まされる

とか

やさしい人だ

とか

自分の知らない知識を色々と教えてくれてタメになる

とか

noteの繋がりの多くは、そーゆー

ちゃんとしたものから成立していて

それはきっと、とてもとても素敵なことなんだろうけど、

ぶっちゃけ、その姿はなんだか僕には眩し過ぎて、

どうしても積極的にその輪の中に入れない自分がいた。

まあ、その甲斐あって、noteを始めた直後は本文よりも長い熱いコメントのやり取りが何気に自慢だったのが、今ではこの有様である(苦笑)

そして、残念ながら?、それが全然寂しくない。

というのも、僕は、全然、ちゃんとした人間ではないからだ。

実際、人にイチモツ、いや一目置かれるような才能があるわけでもなければ、いわゆる人様に誇れるようなイケメンでも善人でも何でもない。

そもそもデブだし、天パだし、我ながらなんか薄汚いし。

むしろ石を投げられないだけまだマシな方だろう。

そして、ここで突然、話は変わるけど、かつてエンケン(遠藤賢司)という名前のミュージシャンがいた。

最初は正統派のフォークシンガーだった彼は、晩年にロックンローラーに転向し、なんだかチンドン屋みたいな出立ちで、自分の息子くらい若い人たちに混じって歌っていた、という印象の人だ。

印象の人だと言うのは、これまで気にはなっていたけど、マトモに彼の歌を聴いたことがなかったからに他ならない。

でも、昨日、会社をサボ、いや、休んで、本当に何の気なく、彼の歌を聴いてみたんだ。

それは

「僕の音楽は本当に良いの」

というタイトルの曲だった。

でも歌詞を聞くと、そんなタイトルとは裏腹に、彼は思いっきり自信を失っていて、どうせみんな自分が年寄りだから面白がってるだけでしょと拗ねた挙句に、このまま線路に飛び込んでしまおうか、とまで言っていた。

なんか全然ダメな人じゃん!

でも、なんだかいいな

むしろ、この人好きだな

と思ってしまった。

そして、その瞬間、何となく胸の奥あたりがじんわりと温かくなるのを感じた。

そして、ふと頭を上げて周りを見渡したら、同じような視線が僕にも向けられているのを確かに感じた。

そんなわけで、

noteにはやさしさがあふれている

なんておタメごかし、今の僕には口が裂けても言えないけれども、そして、これからもnoteで積極的に人と関わるようなことはきっとないだろうけど、それでも

どうやらそこそこ優しい人たちはいるのだろうな

とその人たちへの感謝の気持ちを忘れずに

これからも懲りずに精一杯、

恥=自分

を晒し続けて行きたい。

それが僕の(現時点における)

noteを続ける理由である。

なんか死ぬまで無限に書けそうな気がしてきたぞ(笑)


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